憲法改正

憲法改正の議論には、色々な見方があると思う。だからこそ、議論するなら個々の条文よりも、前文を対象にすべきだろう。恐らく、単純追加になるだろうが、憲法が作られて以降の現代と将来の認識が盛り込まれ、変化と対応への考え方を明確に文章にすることが求められる。その前文の改正を経て、個々の条文の改正という手順になると思う。変化の激しい現代において、半世紀以上の時間で時代認識が変化しないというのも信じがたい。前文だけの改正でも良い。個々の条文の改正をしないとする、改めての認識を明確にしてもいいだろう。そうなると、大まかな時代認識だから、多くの関心が向かうと思う。将来の向かいたい方向もあるだろうし、向かってはいけない方向もあるだろう。今を考えてもいいし、半世紀以上前の作られた時代を考えてもいい。漠然としたことを明確な文章にすることが重要だ。例えば、明るい未来という言葉は、あまりにも漠然としているが、明るい未来という文章にすることで、何を感じ何を考えていたかを将来世代に残せる。それが大事。政治家には、歴史に残る実績を考えてしまう誘因がある。だから、私的利益に見られてしまう。一世紀の区切りでの改正というくらい大まかな気持ちであれば、そうした私的利益は払拭できる。というより、高い志を感じれば、自ずと排除される。現実の切迫感のある要請ではなく、歴史という視点を持つことこそ、この前文改正には要請されていると思う。脈々と流れるものを感じ、受け継ぐものと残していくもの、それらが問われている。多分、憲法はそんな改まった気持ちをさせてくれる存在なのだろう。