昇進システム

企業以外にも、昇進の仕組みはあると思う。暗黙のシステムになっている場合が多いように思う。例えば、お笑い芸人なども、視聴率や有名など、他にもあるかもしれないが、なんらかの評価で昇進とも考えられる。ただ、この場合は昇進の結果と評価が混然としている。芸が評価され、昇進結果が視聴率や有名だと捉えるなら、明確だと言える。政治家も似たようなものだろう。評価と昇進結果が混然としている。お笑い芸人の場合、漠然としているが芸が達者ならば、それに応じて評価されているとみなして、ある程度の納得はできる。政治家の場合はどうだろうか。仮にテレビとかの露出の多さだけで評価されてしまうのは不幸だ。選出した議員の実績は、有権者にはどのように伝わるだろう。所属する政党の内部での評価システムに任せることだけしか方法は残されていないのだろうか。選挙での公約と実績との比較検証という手段は用意されていないのだろうか。結構、真面目に考えると、放置状態であることがよくわかる。選挙時と関心事項が変化するのが理由かもしれない。本来的な評価と昇進のシステムと、それの実現可能性を考慮した結果とも思えない。企業はどうだろうか。ある程度明確な評価システムに、個人の行動は応じる。政党もある程度の目安で昇進するシステムが必要なのではないだろうか。行政はどうだろうか。組織内部の昇進システムで良いだろうか。想像するに恐らく、組織としては実績があるだけに変化は不要という認識だろう。しかし、実績とみなされていたものが国民から信用されなくなった途端に劇的な要求にさらされる。国民は、正当性を感じたら容赦ない。ある意味過激になる。一般化しよう。仮に昇進は、実力を発揮してもらう基準軸で評価するとしよう。明確な評価と不明確な評価を比較して、どちらか一方が良いとできるだろうか。恐らく、良い結果の確率が高いと予想されるのは、明確な評価だろう。しかし、変化が激しくて評価時と昇進後で基準が異なったり、設定基準以外の評価で著しいものがあったり、と必ずしも明確な基準が良いとは限らない。つまり、蓋然性として明確な基準の設定に期待するが、設定限界も織り込む必要があるということだろう。さらに、困難な要因は、評価者だろう。そこには、立場の利益享受面と情報の精度がある。この考慮の観点は一般化の合理性はありそうだが、評価者の一般化は無理だろう。しかし、暗黙とされる昇進システムを少し深く考えることには意味がありそうだ。