基本志向

世の中でもてはやされていること、それに合わせようとするか、背を向けるか、といった問いかけに、背を向けることは難しい。しかし、全てと考えるなら、少しは背を向けてもいいと思う。流行と変化で違うから、流行はともかく、変化に背を向けない程度に古典に戻ることを考えてみる。思考と行動に分けるなら、思考だけでも古典に戻ることにしてみる。恐らく、古典を知ることで基本的なことからの思考ができると思う。既に構築された土台の上で思考することを、世の中でもてはやされていることとするなら、その土台を改めて知ることに意味がある。つまり、古典とは現代の基礎なのだ。具体的な古典は、色々あると思う。宗教、文学、哲学、思想、科学、その他様々だ。外していけないのは、歴史それ自体だ。大事だと思うのには、個人差がある。だから、最大公約数的な古典が歴史だと思う。歴史の中に思想や科学が登場する。関心が特定的でもいいが、ある程度満遍なく知ることは奨励される。多分、重要なことは、そこから何を見いだすかだろう。深く知ることもあれば、俯瞰的に感じることもある。それが手軽に手に入るのが、歴史小説だと思う。小説だから、作者の歴史解釈の前提は忘れてはならない。そうした古典を知ることで、現在を改めて解釈すると基礎知識が少しはしっかりしてくるから、新しい発見が期待できる。その経験が積み重なると、一層古典を知りたくなると思う。対象となる古典もその解釈も、そして、現代の解釈も個人差があるはずで、他人のそれが勉強になることもある。だから、コラムとかは面白い。コラムは自在に話題をふるから、読んで初めて話題がわかることが多い。それでも、それなりの見聞を持つ人間のコラムには、やはり味がある。お勧めは、新聞の記者以外のコラムだ。歴史を最大公約数とするなら、それ以外の基本的な古典はなんだろう。探し方も個人差があって面白いと思うから、探し方を考えてみる。手軽なところでは、中高生向けの推薦リストの中の題名に思い当たる文庫本だろう。夏休みや秋といった、読書を推薦する機会を利用しない手はない。中高生向けでも、多分しっかり選んでいるから、まず外れてはいないと思う。重要なのは、対象の古典よりも、そこから拾う解釈だから、むしろ小学生向けでもいいくらいだ。推薦リストから洩れた理由を考えてもいいかもしれない。別の探し方としては、人物シリーズかテーマ、事件の絞り込み、同時代とか、だろうか。書店員と仲良くなるのは、いいかもしれない。それは、やってみたい。世の中にはいると思う。現代を知るため、だけが理由とはならない。しかし、現代を知るための必要な条件だろう。現代に近い時代では、社会の激しい動きが前面にあり、古典としては認識しにくいものもある。経済学とかは、経済学の分野としては古典の部類に入っても、一般的には古典とは認識しないと思う。多分、経済思想という括りになる。そんな現代古典みたいな紹介書籍があるなら、お勧めだ。古典から現代を客観的に眺めることこそ、必要なことだと感じるのは、なぜだろう。恐らく、判断のための情報として、基本的な情報と考えるからだと思う。基本的な情報とは、基盤の上ではなく、基盤そのもので、その構成を知ることになると考える。つまり、それが基本的志向の思考経路になる。