権力維持
民主的な国家なら、選挙によって政権が代わる。
民主的ではない国家の場合、その政権を考える。
王国とされる国家も、実質的には民主的だ。つまり、行政権とか持たない。
念頭にあるのは、中国と北朝鮮だ。
実は、簡単なのは、北朝鮮で、政権が維持されるなら、実権放棄で可能性がある。書記政権化の実現性は無視した議論ではある。
中国の場合、色々と難しい。なぜ難しいかといえば、国家運営の実力があるとみなして欲しいからだ。
実力を疑う存在は、中と外の両方で、疑われたくないのも同様だ。
かなり、断定しているが、ニュースとかの情報を基にした判断だから、根拠は薄弱だ。
このような政権の維持は可能だろうか。可能性を否定できる根拠はないし、維持を保証する能力もない。ただ、大規模な自然災害や経済危機があるとわからない。
国家間紛争は、結果が明確になるまでなら、どのような状態であれ可能だと思う。結果が明確になった場合、わからない。勝っても負けても、政権維持の反対要素が大きい。
勝った場合、明確な果実を国民は求めるだろう。負けたら、疑う。
つまり、紛争は一旦始まれば、果実が確実でない限り継続の慣性が働く。ということは、紛争の開始要求は、冷静である限り通常はないはず。
そうすると、想定する範囲で危機の対象となるのは、国家運営そのものだ。その感度は優れている部分と、理解が進んでいない部分が混在している。総合すると、驚異的な速度を勘案すると凄い。割り引かなければ、遭遇する事態に比較したら、能力不足だと思う。その意味での謙虚な実力判断は欠かせないが、能力不足への疑いと実力相応の冷静な評価は相反する。そこに逃げずに取り組む政権ならば、報道各社は時代の証人になると思う。
逃げ方として、実権放棄という手段がある。監視役に徹する存在は可能性の一つだろう。具体的手段はともかく、逃避方法まで視野にあるなら、相応の国家運営能力もあるはず。つまり、能力があるなら疑われる存在として、ではなく頼られる存在としての政権になる。
つまり、簡易計測手段として、国家運営能力への疑いに危機意識があるなら、能力不足を表している。逆に、表面で繕う装いの可能性は否定できない。理由は不明としても。
崩壊は速い。周辺国は準備を必要とするだろう。協調が基本。
平和は、ただ待っていれば手に入る。そんな平和が欲しい。