新政権

エジプトの騒動は、民主化されても経済が良くならなかったことが原因だと思う。民主化されて、大統領を選ぶ時点では、その時点より良くなると期待していただろうということだ。

民主化以外でも、新しい政権には、今より良くなると期待することが多いと思う。多いから政権が代わると言える。だが、変化する方向はともかく、ほとんどの場合、変化は起きるが、期待と異なる、というよりも、期待が高いため、その高さまで達しないことになり、失望感を呼ぶことになりがちだ。なぜだろうか。

誠実に政治を実行しても限界があるのだろうか。効果に遅効性があるからだろうか。そもそも、期待が高過ぎるからだろうか。多分、そのどれもだと思う。つまり、政権交代の経験が少なくて、どの程度の期待と、どの程度の効果の実績が見合うかの予想が外れることになるからだろう。ある程度の経験があれば、諦めたり、不平不満のはけ口が用意されたり、政権交代の準備をしたり、と多様な活動につながっていく。その経路が確立しないと、いきなり暴動になりかねない。

そんな文脈で考えると、野党の役割は大きい。実現不可能な意見を聞くことも、大事かもしれない。政権交代が実質的に難しいのとや野党が存在しないのとは、大きく違うのか、ほとんど同じなのか、両方含まれるように思う。野党がきちんと取り組まなくなる懸念がある意味では、同じようなもので、長い時間かかってもいいから政権交代ができるなら、全く異なる。だから、野党の役割が大事だろう。

エジプトの場合は、なんとも言えない。少なくとも、経験を積む必要はあると思う。

そのような見方で一党独裁の国の行方を追うことも意味があると思う。その国だけが不幸になることは、ほとんどないから、世界の支援が必要になる。内政干渉と受け止められる心配は、ついて回りそうだ。

政権交代が可能なことが大事で、少数連立でも二大政党でも、どちらでもよさそうだ。ドイツは連立を組んで政権をとっている。連立にも良い点があると思う。ただ、連立を組むことと維持することが難しいだけだ。

南欧も連立が多い。注目したい。健全な政治なら、連立の組み直しも、価値はありそうだ。

暴動は不幸な事態だが、関心を持って行く末を見守りたい。