現場と知恵

現場を大事にする考えは、知恵を大事にする考えと共通する部分と知識として扱う部分があることに気がついた。

だから、現場の知恵なら大事だが、現場の知識は慎重に考える必要がある。

知恵を出す場所はどこでも構わない。衆目の集まる場所だろうと、人知れず黙々と集中できる場所だろうと、関係しない。だから、偶然現場であっても不思議ではない。

しかし、それが一旦権威化すると、権威発の情報を有り難がってしまう。つまり、現場からの情報を無批判に受け入れてしまう状態を作り出す。それは、成功例であるが故に、批判し難い典型例だ。

人間の判断には、バイアスがある。今回紹介した例も、バイアスだと思う。

人間は、自分では明確に認識できないバイアスの存在を受け入れる準備がなければ、バイアスの存在には気がつかない。謙虚な姿勢を必要とすることかもしれない。何が理由の根拠かは、わからない。しかし、気がつくきっかけとして考えるなら、思い浮かべるのは、謙虚な姿勢だ。

現場を神聖視しては、怠惰の始まりのように思う。知恵を捻り出すことを重視するなら、場所は不問だ。だから、情報の発信元から、直ちにその情報を神聖視することは、疑問だ。情報を受け入れるなら、その準備を事前に整備してある状態で、批判的に判断して、価値を認めた上で受け入れることになるだろう。無批判に受け入れることとは、準備がなく、価値判断を肯定的にしてしまうことだ。

なんとなく、色々と整理できそうだ。地道に進もう。