情報産業開放進化

過去の王者企業の歴史から、読み取れることがある。勿論、勝手な感想だ。

ハードもソフトも囲い込んだIBMのかつての戦略は、大型汎用機を中心にしたものだった。今から見た性能はともかく、一台の汎用機の価格からすれば、ソフトウェアの価格は軽く見えたかもしれない。開放されているのは、アプリケーションソフトウェアの開発の余地程度が実態だと思う。

パソコンは、色々な会社が売り出して、その市場占有率も変化が激しかった。しかし、中心はCPUと周辺LSIインテル、OSはマイクロソフトが独占状態だった。パソコンで動作するソフトウェアも、ブラウザーやワープロ、DBとこれらも、占有率が高かった。しかし、一応OSに載せられるソフトウェアは開放された。

今のスマフォやタブレットは、無料ではあるがAndroidが主流で、アプリはGoogle管理下にあるようなものだ。その管理下であれば、開放されている。

この流れは、開放が基調のように読み取れる。その流れに沿うならば、そのまま開放基調が継続すると予想される。例えば、IDやパスワード管理を別サイト運営に拠るサービスは、その開放基調を表していると思う。

つまり、技術的にはサービスの分散化が進化していくと予想する。その基調は、どこから生まれるのだろう。恐らく、分業化が生産性の高さを生むのだと考える。その昔の教科書的には、市場の競争が善で独占や寡占は悪、つまり全生産要素からの最適化は、市場競争から生まれると考えられていた。

ところが、狭い市場では独占となる健全な分業が効率良く進化していく経験は、より健全に分業化する意欲に結びついたと考えられる。

これは、例えばある情報に特化したサイトが、別サイトと分業的に協力する道と、その情報に関する複数のサイトが競争する道と、比較して明らかに前者の道が支持されたならば、成り立つと考える。その成立条件は、怠慢せず真摯な取り組み努力だろう。怠慢であれば、競争を仕掛けられるという前提が必要とされることが理解できる。また、別サイトが分業的協力をする条件も想像できる。協力先として、比較可能な仮定が、そこでも前提となる。つまり、怠慢であれば、他の協力先を必要とするか、自分たちで供給するという想定が存在するということだ。

この意味は、市場参入が容易という暗黙の文脈が存在して、初めて成す。つまり、分業化が容易であるように、極端に言えば、接続情報を開示して、試験接続の常時開放と、合格基準を明確にして、接続を容易にすることも考えられる。

技術的な話と、事業的な話がある。事業的には、相手の信用等様々ある。恐らく、段階的手続きで、制限を徐々に解除していく方法で、初期接続の敷居を低くすることで、幾分障害を軽減できると思われる。

試行錯誤の初期とその後の成長時期では、視野も異なる。多分、最終的な視野を持って、着手は着実という取り組みが成功のように思われる。

なんとなく、一括りの話をしたような気がする。根幹部分は思想的な話にも見えるし、単に技術的な話とも見える。拘るつもりはなく、消化して自分のものとするならば、恐らく、それはその人の思想になっていると思う。何に対して真摯に取り組むかが問われるだけで、怠慢な取り組みは競争で排除される原理が働くと思われる。

つまり、着たくても、虎の皮は用意されていない。自分の皮で勝負するだけの単純な話だと思う。

まだ、十分とは言えないが、とりあえず一括りとして、一旦区切る。利用者の話とか、何やらの話は別の機会にしよう。