新興国の歴史

日本の歴史は、それなりに古い。世界的には、もっと古い歴史がある。しかし、古くから継続的に歴史を刻んでいるという意味では、日本は誇れると思う。

現在の世界では、最近になって民族として歴史を刻み始めた国もある。いわゆる日本史に相当する授業はたどのようになっているのか興味深い。誇れる歴史を刻んで欲しい。

国と国のお付き合いである外交は、ある程度礼儀のように確立している。しかし、別に正式な外交だけが、国家間のお付き合いとは限らない。柔軟な発想で深めていくことは、より充実した国際的な立場を形成していくと期待する。民間の進出は、正攻法だろう。

国と国も、人と人と同じように、相手を尊重することが基本だと思う。とするならば、相手国の歴史を知ることは、相手国を尊重することと同義ではないだろうか。仮に、浅い歴史であっても、刻んだ歴史には相手国の誇りがあると考えたい。

実際の詳細な方法は検討が必要だろうが、相手国の歴史を日本語で書籍にしてもらうことは、意味があると思う。どこの負担か、相手国の言語について、読者対象者、その他色々な観点で思惑は複数にわたるだろう。念頭にあるのは、アフリカ各国ではあるが、自分たちの歴史としての視点を持つことで、歴史を刻む誇りによる不穏当な行動の抑止力になる期待がある。それは、治安が不安定な国にも期待出来る。

むしろ、日本が最初に行うことで、他の国々も同様な行動をとるならば、過ぎ去る現在が歴史として刻まれるという認識が深く実感を伴って浸透すると思う。

書籍化の予算と、建造物の予算では、書籍化の予算の方が少ないと考えられないだろうか。電子書籍、小中学校の副読本、進出企業向け、と色々考えられる。著作権を相手国にしたなら、印税が相手国政府の国庫に入る。

これは、非政府組織活動が適しているのだろうか。なんとも言えない。多分、枠組みと目的次第だろう。思惑が色々と想定出来るから、絞り込めない。

テロ活動の抑止政策を考える時に、時間軸をどの程度が適切かはわからない。しかし、歴史から数十年の取り組みも視野に入るだろう。その時間軸ならば、一見迂遠な方法も効果という意味で、検討の対象に出来ると思う。

逆の効果もあるかもしれない。それは、わからない。否定出来る材料は持ち合わせていない。だが、武力行使が恥ずべき行為という認識が普及するならば、遅延した効果の可能性が期待出来る。

少数民族が難しい問題ではある。個別の話と、共通する話があると思う。恐らく、共通部分が少ないから難しい。多様な対応と考えるのは、安易な考えだろうか。