平準化

生産資本の効率を社会全体で考えると、利用機会の平準化が望ましいと考える。景気循環のような、経済の波は避ける方向の努力が好ましい。

新聞コラムで、東京オリンピックの経済効果に疑問を呈していた。好みのコラムニストで、なんとなく共感することが多い。今回も、説得力がある。その指摘に刺激されたのかもしれない。

イベントや流行は、需要を高める一面、供給態勢に無駄や無理が生じやすい。帰省の渋滞や観光地の混雑といったものも、同様に考えられる。

平準化至上主義を主張している訳ではない。単に供給側の効率の一面を示しただけだ。

その見方で経済政策を考えると、一時的な政策より恒久的な政策が望ましいと言える。くどいようだが、様々な観点があるから、この評価が全てではない。しかし、その観点を抜きにした政策には、まず感性を疑う。

一方で、経済効果を抜きに文化等の面で、評価されるものもある。現在に残る歴史的建造物は、その時代としては、経済的に無理があったものもある。作った王様が幽閉されたことに現れている。

歴史に残って、しかも文化的に評価されるということなら、文芸や学問のイベントは歓迎されるかもしれない。平成版古今和歌集みたいなものだ。

一度戻ろう。

平準化の流れに逆行するようだが、消費税の設計の考え方には、経済の状況に応じて税率の変動を行うというものだったと思う。現在の企業対応は、税率の変更を一時的なものとする前提のようだ。だから、税率変更対応に多大な費用が発生するのだろう。

世界を相手にするなら、国内だけの感覚では違和感を覚える事態に当たり前のように遭遇する。税率どころか急な制度変更のようなことを指す。そのように考えると、日本は恵まれているのかもしれない。

平準化を基本とするなら、経済政策は恒久策が基本で、イベントも限定的にすることになるだろう。基本から外れることが例外扱いなら、理由を明確にして個別に判断することになると思う。

国体も、見直しが必要ではないだろうか。地方の活性化も、イベントや流行は避けた方が良いように思う。ん?この考えは、最近の新聞に紹介されていた気がする。

日常と非日常と分けるなら、もっと日常を大事にすれば良いのではないだろうか。なんとなく、非日常に期待する共通する何かがあるような気がする。