子どもの古代器発見

今日のラジオのニュースは、偶然なのか国際的なものだった。色々考えさせられる。一つは、IMF専務理事の日中と中国への注意であり、もう一つは苦手な分野のアフガニスタンのニュースだ。

H20に限らず、国際的な機関の活躍ぶりは恐れ入る。平和賞の権威は轟くものがあるし、努めてシリアは平穏無事が願われる土地になったと思う。

アフガニスタンの件は、実は良くわからない。でも、米国の主張を恒久的ではなく、時限的領域限定の措置は検討の価値があると思う。アカデミックな立場は、往々にして歴史的評価を重視する。そのバイアスを自覚して、現在の課題を受け入れても良いのではないだろうか。歴史的評価を覚悟の挑戦を理解する者は多いと思う。

中国の件は、周囲の元気が欠かせない。この場合の周囲は、欧州も米国も入る。いわんや…だ。欧州、特に南欧の内向き視野は、国内干渉を課題とすべきではないだろうか。伝統的なアカデミックに立ち向かう勇気は、歴史的評価を理解するからこそ、称えられる。その文脈で、立ち入るべきは、恐らく、当事国の見識だと思う。当事国国民への直接的関与は、厳に慎む必要性があると思う。

ということで、結局日本が世界中の課題を背負っているのではないだろうか。と気負う必要はない。出来ることを実行すれば良い。

もう一つ考えるのは、報道機関として、だ。国際的なニュースを報道する必要性を感じたラジオ局の感性が素晴らしいと思うが、その感性はどこから生まれるか、また、評価可能な者の少なさを想定できてしまう悲しさがある。

姿勢とか内容とか、それらを考えることも大事だが、実は、ワシントンポストの件からなんらかの必要性を感じる。

現実に面している訳ではないが、想定として破綻は考慮の範囲だろう。だから、想定すべきだろう。

子どもが貴重な古代器を発見したらしいが、それを正当に評価可能な立場に届くための回り道に、感度の向上の低さを思う。

多分、この点が感性で分けられるように思う。