小説の楽しみ方

経済学賞の解説は参考になる。特に受賞理由は、なるほどと思った。解説も色々参考にしたいが、受賞理由ももっと色々読みたい。

中国の個人消費が異常に少ない理由の説明に企業が負担していることが紹介されていた。なんとなく、しっくりくる。これも統計の精度なのか、人件費の考え方なのか、その違いが明確になるなら、認識も違ってくる。まさか、6割まで修正されないとは思うが、それなりの割合は、不安感が少し和らぐような気がする。

長期投資重視は歓迎だ。毎月の積み立てみたいに、習慣になることが望ましいと思う。もっと投資家の視点が求められている。

小説を読んで、楽しめるか否かを基準にする考え方は、何か似ていると思った。英語関係の研究者が、若い時に英語の小説が、子どもの頃に楽しんだようには楽しめないので、現地で徹底的に楽しめる小説を探したらしい。ようやく、楽しめる小説に出会ってから、その基準が確立したようだ。

なんとなく、わかった気がした思いがした。つまり、現在の読み方は、筋書き至上主義みたいなものだからだと思う。確かに、ノンフィクションが好きで筋書きを重視しているということだ。読書には、それ以外の楽しみ方があるのに、忘れていたようだ。

それはそれで理解したようだが、小説はしばらく手にしないような気がする。手にしたいとする気持ちが生まれるまで待っていようと思う。

それにしても、その英語関係の研究者は、よく紹介してくれた。楽しむには、それなりに土台となる関連する概念が充実することが条件のようだ。その考え方の検証の一つのように思った。

登場人物が極端に少ない有名な小説には、何があるのだろう。筋書きが単純なのに深い小説には何があるのだろう。極端に言えば、そのような小説が楽しめるだろうか。多分、その設定は焦点を明らかにする。

さらに、わかった気がする。関心が小説の世界の中ではなく、小説の中での原因や理由を求めてしまっているようだ。確かに不自然ではない。追求するものは自由だからだ。しかし、この身についてしまった性分のようなものは、どうすれば良いのだろう。さらに過剰にする方向が適切なのだろうか。それとも、矯正する方向が適切なのだろうか。

恐らく、成り行き任せが適切なように思う。仮に過剰方向だとしても、副作用はない、はずだ。

いや、追求するのも馬鹿らしいものを読むことかもしれない。これは納得する。