複雑状況

国際的な実験施設を日本に作る話は、賛成したいが、多分予算が想定以上になるから、少し待った方が良いと思う。一つは、欧州での実験で、まだ出来ることがあると考えられる。その結果次第かもしれないが、より大々的な必要になる可能性があると思う。他国が及び腰な状況だから、拙速は避けたい。

ある最新号の雑誌に自動運転の開発を紹介していたが、考えてしまう。ただ、開発そのものに反対するものではない。

飛び出しを想定して自動で回避する機能は、回避行動が衝突より良い状況とする前提があるようだが、その前提を疑う状況を想定してないのか、その点が疑問となった。

回避行動の方が被害が大きいことは十分に考えられることだと思う。そんなことを考えながら読んだら、機能毎の評価をする話があるようだ。なんか、脱力感がある。

国際的な競争は、必ずしも協力が不可能とは言えない。悩み事や解決方法に大きな差はないと思う。そんな感覚が不思議でないなら、脱力感が理解出来る。不思議とするなら、どのように説明すれば良いかがわからない。

評価とは、一般的に評価する対象が限定される。逆に言えば、除外される部分がある。その除外される部分をどのように考えれば良いだろうか。恐らく、その除外される部分が悩みどころになりそうと感じるから脱力感になるのだと思う。

自動車に限らず、日常生活で近未来に登場しそうなロボットとか、類似を括って考えてみる。

設計上の想定通りの状況で、判断と行動が正確に機能するとして、設計で想定していなかった状況に対する一般解はあるだろうか。或いは、一般解は存在してはいけないのだろうか。まず、このような限界を考える必要があるのではないだろうか。

では、設計の想定を可能な限り取り込もうと考えたとしよう。実は、これは人工知能のフレーム問題に相当する。

これらを一通り認識した上で、哲学的に解決方法を探ることに気づくだろう。ここで言う、哲学的とは、考えの根拠を体系的に構築することを指す。だから、誰でも同じ結論になる保証がない。

なんとなく、そんなところを避けているのではないだろうか。

自動化が進んだ近未来では、人間なら単純な届け物も単純ではない。届ける途中で破損した場合、会計上と損害賠償その他の整合性をどのように考えれば良いだろうか。それとも、互いに独立して扱うことが望ましいだろうか。業務上の委託関係や発生場所の賃借と管理といった、当事者となりうる関係者は複雑な状況だろう。その一般解は絶望的だと感じるのは、不思議だろうか。

あまり考え過ぎる話かもしれない。でも、どこかで限界に達することも想定出来ると思う。

その雑誌で、大阪の話があった。詳細を知らないが、想像を逞しくした。なんとなく、東京との競争意識を感じる。その解が抽象的な言葉でしか他人に伝わらないから、誤解は簡単に生じてしまう。競争意識での解が正解かは、わからない。しかし、大阪に出張した経験や大阪人を見ると、東京にはない良さを感じる。例えば、タクシーに乗ろうとしたら、地下鉄の方が安いと親切に教えてくれた運転手だ。そんな良さを残したままの解なのか、残さない解なのか、みたいなところを感じた。実際はわからない。