大阪

通天閣と大阪城を今度見せてくれると言われて、数年過ぎた。大阪城は、昼間伊丹に降りる時に見たことは確かにある。

若い時、大抵の地方出身者は訛りを隠そうとしているのに、関西の人間は堂々と訛ったまま話していることに反発心があった。今は、羨ましいと思う。テレビで、子供が関西弁で話すのを見ると、一丁前に話していると感じてしまう。

関西の人間に言わせると、関西弁も、京都と大阪、神戸では相当違うらしい。わからない。

京都というより、滋賀県の人間も関西弁で話す。京都は、不思議と上品な感じがする。奈良と和歌山の人間とは、詳しくない。微妙なのは、大阪と兵庫の境付近だ。

大阪の人間は、計算高いという前評判を良く聞く。でも、経験した限り当てはまる人間に出会っていない。母数は、3桁以上だ。

別に、何かを断定する意図はない。率直な感想であり、経験の一部を公表しただけだ。

あ、一つあった。高速に間違えて入ったら、朝早いのに競争のような状況になってしまったことがある。信号で別れたが、挨拶のようなことをして脇道に入って行った。

大阪に限らず、日本の道を走行したが、良い思い出しかない。話し言葉が理解出来なかったのは、鹿児島と下北半島だ。それ以外は、一応理解出来た。日本も結構広いと思う。

一度戻ろう。

大阪の話は、雑誌をきっかけにしている。なんとなく、状況が理解出来るだけに惜しいと思う。恐らく、年長者が周囲にいないか、いても理解するだけの余裕がないか、どちらかだと考える。もし、その通りなら、もったいない。

主張するつもりはないが、グローバルな競争を東京に限定することと、日本中に撒き散らすことという極端な見方をすると、理解出来ることもあると思う。どちらかだけが良いと断定するだけの根拠があるなら知りたい。

経験のない実施前の政策は、その影響を正方向で評価する積極性より、負の方向の評価が浸透しやすい。反論を明確に言葉にする技術があるなら、環境に我慢するという認識にはなりにくいが、技術がないと攻撃的感情を抑圧する一方しか残されていない。

恐らく、この構図を感覚で理解するか、距離をおくか、その違いのような感じがする。

ん?酔っている。もう少しわかりやすい言葉があるけど、今は出来ない。