研究予算執行の緩和

企業に対する機関投資家向けのガイドラインを作成する話は歓迎したいが、一つ気になるのは共同保有者としての5%ルールだ。

例えば、個人投資家が共同で株主提案するとした場合、上記適用するとしたら、かなり煩わしい。この条件は事前に明確になっていることが望ましいだろう。

米国議会の解説で、茶会がわかりやすかった。茶会の考え方はともかく、行動が過激と言えるかもしれない。何か乗り越えなくてはいけないものがありそうだ。関心が集まってもおかしくないと思う。

すりあわせとモジュール化の解説があったが、そこで停止すると本質を見逃すだろう。研究開発の先端なら、すりあわせが望ましいと思うが、部品を層とみなす場合、一つは市場による取引費用との比較があり、もう一つは技術進化の開放的標準化みたいな見方があると考える。すりあわせは、技術進化の観点で、閉鎖的であり局所的だと見られるからだ。つまり、系統的に積層されていく知識経験の姿から遠いということだ。

標準化をカタログ的情報とするなら、現在入手可能な部品で出来る製品が明確になるから、いわゆる開発から市場投入までのリードタイムの最短化が追求出来る。

要するに、知識経験の積み重ねと市場投入までのリードタイムの観点で、有利だと理解出来る。

ノーベル賞受賞者の話で触れていたが、研究費の使途の厳格運用は、研究の負の面があると思う。もう少し弾力的に運用して、広い範囲で評価する必要があるのではないだろうか。

ある大学では、経理の部署がしっかりしていて、基本的に経理が直接支払い、建て替え的支払いを例外扱いとして、事後処理を厳格にしているが、弾力的と感じた。恐らく、不正もなく研究の効率も落とさない、適切運用と思える。

研究の組織が主体的に経営する事項だから、研究と経理の流れを定義することは出来ない。しかし、評価が高い事例を参考とする意味はあると思う。もしかしたら、経理の部署に過剰な業務を負わせることになるかもしれない。そんな、経営資源の評価が必要だろう。

委託受託の関係では、ある程度の信頼関係が前提となることが多いと想定されるので、長期間の場合に定期点検の意味合いで監査することで済ませてしまうことも一つの方法ではないだろうか。

例えば、日本から欧州に行って、別の新たな情報で現地に滞在する必要が生じた時に、予算執行の厳格運用により余分な滞在が認められないとしたら、それは負の面と考えられないだろうか。

冷ややかな視線を感じながら、あえて言えば、見通しの良い研究は、大概価値は高くない。見通しが読みにくいから、価値の高い研究が出来る保証もない。つまり、資産運用と似ていて、ハイリスクハイリターン、ローリスクローリターンも、研究に当てはまると思う。

研究に対する評価を正統に制度化する努力が必要なのに、努力がなされていないからではないだろうか。恐らく、研究に直接携わることが評価され、他人の研究を評価することがきちんと評価されていないからではないだろうか。推測の根拠は、勘でしかない。

もしかしたら、研究の予算云々の前に、他人の研究を評価することが高く評価されるようにすることが先かもしれない。