岐路かも

インド中銀賢い。外国資本の開業しか思いつかなかったけど、確かに銀行もある。きちんと整備するだろうから、問題を当局と相談しながらのつもりで進出することが望まれている。そのつもりなら、苦労するけど、成果は採れるように思う。

地方との税の配分のような話は、難しい。外形的に標準支出を想定して、それに応じた基礎部分への配分と、それとは別枠として地方の意欲的予算みたいな大枠になるのではないだろうか。意欲的とは、政策的とした方が適切かもしれない。ただ、社会保障に比べて急ぐ必要性を感じない。丁寧に進めることが望まれているように思う。

専門というものは難しい。正確さが要求されるから、専門分野に限定して話を展開することは理解出来る。だが、それが適切とは限らない。ある程度他の分野に踏み込むことが求められているかもしれない。そういう意味では、専門分野向けと政策向けと区別しても良いかもしれない。新聞に載る場合は、政策的だろう。

今までは、ある程度考え方の幅が集約されて政策的中庸というような捉え方が成り立っていたが、次第に重視する価値や重点分野の違い、その優先度の感覚といったものが複雑で多様になってきているのが、現在の社会ではないだろうか。

その認識にたつと、官僚の政策的中庸に解を求めることには限界があり、ある程度のリスクを伴う政治が求められているように思う。つまり、政治家が主張を明確にして、選択される仕組みが今後のあるべき姿なのではないだろうか。

選択つまり選挙の時点で主張を明確にして、誠意その努力が望まれることが基本で、変更には説明が必要とされる。主張以外の関心を明確にしても良いとするかは、わからない。例えば、税と社会保障には明確な主張があるが、外交や防衛には無関心で党の標準公約に従う、とする者は、評価されるかもしれないし、その逆かもしれない。

二院制なら、役割もある程度明確であるべきと思う。念頭にあるのは、議員内閣制としての衆議院は二大政党制、参議院は牽制としての多党制で、前者が短期的で精密さを求め、後者は長期的で俯瞰的視野を求めるものがある。大きな制度変更は参議院が主役で、その枠組みの中でしのぎを削るのが代議士というような見方だ。

多分、時間感覚としては長期だろう。その前に政策施行の歪みである癒着や背後関係の是正のようなものの洗濯みたいな過程が必要なのではないだろうか。というよりも、政党の立候補者の決定経路の透明化というような手順になるのではないだろうか。鶴の一声なら、その制度を明確にすれば、まだ納得しやすい。

つまり、政治リスクを選択するまでの手順の透明化明確化というような話が求められていると思う。

現在は、何か抽象的な旗印だけあって、選んだ甲斐があるのかどうか不確かな感触を持つか、直接話せる関係で政策を左右する影響のある立場になろうとするか、そのどちらかしかないようなものだろう。

国会での発言とか、脱力感で踏み込む気にもならない。

政治家は何に対して真摯なのだろう。その定義は、個人差がある。だから、この場で定義することではない。しかし、現状を感じることは出来る。それは、選挙で当選することであり、選挙に当選すると予想する政策をししていると感じる。根拠は、新聞等のニュースから感じることでしかない。

そして、恐らく、多くの有権者が同じように感じているとも、思うのだ。

このまま、政策的中庸を幻影とせず確かなものとして構築出来るのか、幻影を追い続けるのか、幻影を追うことを止めて別の選択をするのか、そんな岐路にいるのかもしれない。