職業訓練

成長率を上げるための一つに生産性を上げることがあり、生産性を上げるための一つに教育がある。ここでの教育は広い意味で、狭義の学校教育に限定しない。独学や仕事を通して学ぶことも含まれる。

ある程度対象となる領域を共有すると、学習効果は高まる。独学で効率良く学べる者も確かに存在するから否定は出来ないが、多数が独学で学習効果があると考えることも少々おかしい。やはり、身近に教えてもらえる人間がいると効率は良い。つまり、学習環境の成果は学習環境をより良くする再帰性のようなものがあると思う。

現在、失業の解説で、不景気要因より構造要因で説明することがあった。要するに、求人があっても、その応募者が存在しないミスマッチという説明だ。頷ける。仮に、情報産業の高度な職業の求人があったとしても、見合うだけの技術を持ち合わせている者がいなければ、このミスマッチに該当するだろう。片や求職者はそれなりに存在する。

この状況の打開は、求職者の技術習得という解に求められると考えられる。この素直な解に対して実現性の難易度をどのように考えられるだろうか。ミスマッチが継続されている事実から、直ちに困難と評価されるべきだろうか。

具体的には、技術習得の具体的方法になる訳で、伝承可能な者はどのような者と考えられるだろうか。また、方法とは、学校教育や長期といった大げさなものから、細切れで限りなく独学に近い形態まで、様々だろう。伝承者可能な者の多くは、実務に携わっているだろう。つまり、極端に考えれば、伝承者可能な者のうち実務から離れた者で大げさな教育をするか、実務に携わっている者による職業訓練を同時並行で実施するか、そのどちらかが解となることが理解出来る。

この解に対する費用対効果的な支援策は何だろうか。他国の例を参考にすれば、教育訓練機関に対するバウチャー支給や職業訓練前提の就職への補助金みたいなことが、思い浮かぶだろう。

この時に、経営者視点では、効率追求という評価軸になりがちだから、教育効果の高い人間と、それなりの人間のように評価しがちだということを考慮する必要があると考える。この見解は、別れる可能性が大だから、敢えて踏み込む。

つまり、教育効果の高い人間とは、短期間の評価でしかなく、実際には興味が持てるとか、少しの自信で自分なりの学習方法が見つかるとか、何かのきっかけで劇的に学習効率が高まるという意味で、長期的に評価すべきと考えている、ということだ。ここに見解の相違が想定される。

経験的根拠と理論的根拠という相違が想定されるので、哲学という問題かもしれない。つまり、二つの見解とも支持する理由を否定しきれるだけの根拠にならず、かつ両立しないからだ。だから、見解という段階にとどまり主張する段階には進行しない。

寄り道してしまった。一度戻ろう。

企業として、採用は経営判断に属することだから、他人がとやかく言う話ではない。しかし、ミスマッチ解消をマクロ的に考えると、どのような道であれ、何かのきっかけ作りという環境の提供の必要性は感じる。ん?

戻ろう。

バウチャーとかは数多く言われ続けている話のように思う。なぜ、取りかかれないのだろう。そこがわからない。

高度な技術も、幾段階か経て達すると考えても良いと思う。初段が一人前なら、十級から始まることだって良いだろう。十級で成立する職業があれば、それはそれで歓迎すべきで、進級と転職を目指すという流れが出来れば、雇用流動性が生まれるようなものだろう。

そこで、適切な評価方法の工夫が必要ということに気づく。複数の企業が協力するという流れが自然な姿のような気がする。あの人のその評価なら間違いない、みたいな狭い世界から始まることでも良さそうだ。

後輩の指導も評価の一つということに気づくだろう。色々と頑張ることが多い。