政治的リスク

自動運転については、法律の問題が大きいと考えるが、技術者の視点でどの程度考慮しているか、その熱意でアリバイ工作のような程度か、やはり腰を据えて取り組むか、を悩んでしまう。

技術者視点では、品質や技術追求より、設計限界の追求の視点の存在がなければ信用出来ない。つまり、最初に出来ないことから考える姿勢を忘れて、出来ることを追い求める心地よさに酔いしれるなら、やはり信用出来ない。確かに、技術者視点だから、考慮範囲は狭いかもしれない。ただし、背景を気にせず評価出来ると言える。

もっと正直に言えば、「甘い」という感触がある。自動車は、10年程度くらい長く乗る。その程度の長寿に耐えられるシステムと考えているなら、やはり気持ちとしては、「甘い」と思う。

甘さを超えて覚悟があるかどうか、そこがわからない。新聞や雑誌からの情報では、アリバイ工作感触と考える。

もし、覚悟が感じられるなら、色々と真剣に考える。

でも、今のところ覚悟は感じられない。

これは、技術者に対して宣戦布告しているくらいの勇気で述べている。意味が理解出来ないなら、設計不良で困る人間を想像して、その困り具合に対してさえ真摯に耐えられる鈍感に対して、世界規模の広さを改めて驚きたい。

今のところ、実車配備を回避しているので、問題先送りではある。その問題先送りで良いなら、というか、問題先送り姿勢にしか見えないので、実験に対して頑張って下さいとしか言えない。

気持ちとしては、そうではないだろう。簡単に結果が出ることで努力を評価してもらおうとしているようにしか見えないから、結果云々以前の段階を散々言っている。

ごめんなさい。酔っています。

愚痴かもしれないが、対技術者の話としては、設計思想として批判的意見を正直に述べている。くどいが、知りたいのは、覚悟だと思う。

ここで言う覚悟は、先々の結果に対して責任を感じている姿勢みたいなことだ。現在の結果に対しての責任感が幾らであっても、先々に対する責任感についての評価は難しい。同一人への評価が複数として、どれが最適値であるかは、なんとも言えない。

酔っているから、駆け足で終わろう。

難しい仕事は、難しい仕事のままにするより、簡単な仕事に分別すると色々と恩恵でありそうだ。

何が難しいだろう。煩雑と困難は、似ているが、異なる。

色々と頑張っていきたい。難しいが。