サービス産業

今日のコラムも良かったけど、小さな一つだけ見方が異なる。そして、最後は政治家に読ませたい。

小さな違いは、どちらが努力負担を負う必要があるか、の感覚だ。多分、どちらも努力すべきだろうが、言葉では、どちらかを強調することになる。つまり、平易な説明という努力も、理解するための学習という努力も、どちらも必要なのだろう。対マスコミという意味を強調すると、理解する努力に同感してしまう。

マクロ経済の平易なモデルくらいは、義務教育過程でも良いのではないだろうか。という考えが実はある。そうすると、部分局面だけで判断する朝三暮四みたいな理解は、通用しなくなるのではないか、と期待する。

経済教室のサービス産業の解説は、その範囲では頷くが、資本投入云々という面での市場原理からは逃げられないという意味で、つまり、成長を期待するという課題への反応という意味で、別の方向を考える。

例えば、十年くらい前の調査では、小売り、特に、半数以上の家族経営商店のような小売りの生産性がひどく悪い数字があった。これだけで判断する訳ではないが、ぎりぎりの経営をしているような零細企業は多いと思う。参入しやすいからなのか、昔からの家業なのか、それはわからないが、いわゆる大店で影響する商店街の多くがあてはまると思う。

ということは、同業者とか地域内とかの協力で生産性を上げるようなことが考えられるのではないだろうか。生産性とは何かみたいことから、努力すべき行動を定義することは困難だ。結局、顧客が増えるか、売り上げ機会が増えるようなことを考えなければ、生産性向上という結果に結びつかない。全国の同業者を相手に自分の成功例を紹介することは、顧客が奪われる要因と考えるなら、事例紹介という手段は難しい。

協力ということを定義することから考えなければ、結果に結びつく努力は想像出来ない。参入の容易さと利益率とかで市場原理が機能するから、規制は手っ取り早い既存企業を保護する手段になりやすい。これは、雇用市場と似ている。転業のしやすさが保証されるから、業界を移動しやすいという意味で似ている。

転業先を路面店と限定するから、障壁化のようになるのではないだろうか。ネットは、その観点で転業先の範囲を拡張したと考えられる。

雇用と転業は、実態としては一括り出来るかもしれない。本格的参入の前に副業的に先行して確認するような、多様な試みが複数可能なら、一層その市場が成り立つと考える。多分、これが本筋だろう。

ただ、教育は色々な面があるから今朝の解説を参考に出来る。失業対策の面もある。かなり広く解釈すれば、娯楽の面もあると考えている。

雇用保険で経営大学院への補助という話に、賛否あるようだ。こういうことからの発想は、雇用保険の多様化で、保険料と保険金の組み合わせを選択可能にするようなことだ。民営化出来るだろう。失業給付か教育補助かみたいな選択とか、色々あると思う。