母への恨み辛み

基本的に感謝している。しかし、身近な存在では感謝するばかりとは限らない。近所との長いつきあいも、隣国との関係も、似たようなものだろう。

感謝する話は沢山あり過ぎるから、ここでは触れない。では、恨み辛みの話をしよう。

二つある。いや、覚えていることが二つで、他に思い出せないことはあるかもしれない。一つは、子どもの頃、サンタクロースの存在を否定したことだ。子どもにとってサンタクロースのプレゼントは楽しみなのに、そのプレゼントはサンタクロースではなく、母が買うと言われてしまったのだ。その時は戸惑ったが、今でも覚えているくらいの衝撃だったのだろう。

もう一つは、大晦日に正月用のお酒を紅白を見ながら、ほとんど飲んでしまって、翌日、つまり、元日に文句を言われてしまったことだ。同時に使ってもいないこたつがついたままであることも、だ。確かに飲んだが、一合くらい残したし、こたつは使ってもいないというのがこちらの言い分だが、見事に聞く耳を持たない。その年から頑張ろうとしていたことも年始めから粉砕してしまった。

それ以来、こたつは使わず、紅白は見ていない。原因を承知している分だけ胸にしまったわだかまりは、長くくすぶっているようだ。いつか、誰かに聞いて欲しい愚痴だが、聞いた人間は笑いとばすことも想像出来るから、選ぶのは難しい。

お!なんとなく、すがすがしい気分だ。今日も酔っているが、たまには愚痴くらい良いのではないだろうか。

もしかしたら、明日には忘れてしまうかもしれない。

覚えていて得になることは忘れて、得にならないことは覚えていると感じるのは、その特徴によると思う。得にならないことは忘れてしまえ。

記憶とは、難しい。記憶の検証では、どうも二つの方向性があるようだ。つまり、特徴を強化する方向と整合の方向だ。これもbiasなのかもしれない。