誤解の恐れ

社会保障の提議のベタ記事は歓迎したい。このような案件は政治の道具にしないで、粛々と進めて欲しい。

中国の外国からの闇投資の封じ込めは難しいと思う。実質ドルペッグで、人民元の金利が高いなら、今の緩和で、資本移動しない方が無理なことだろう。もしかしたら、この隙間から人民元が開放されるかもしれないが、多分やらない。封じ込めに懸命になって、金融市場がおかしくなる危険性が高いと懸念する。インフレ率からすれば、素直な金融政策は引き締めだけど、それを許さない国内事情こそ無理の根源ではないだろうか。多分、トップ層はかなり動揺しているはず。動揺してなければ、それだけ実力が欠如しているということだろう。

与党幹事長の発言で、訂正する事態がある。訂正しないままで素直に解釈出来る人と、そうではない人がいると思う。この発言自体をとやかく述べるつもりはない。

発言とは難しい。発言の一部を切り出して悪用されることを考えると、内容より立場を考慮する必要があるのだろう。同じ内容でも、立場が違えば、受け止め方も違うと考えて良いだろう。特に、細かく内容を吟味することなく、伝わってしまうのは、伝言ゲームや記憶の特質から理解出来る。

伝言ゲームや記憶で理解出来ることとは、情報には偏りの特徴があるということだ。強調されたり、他と整合性をとったりするようなbiasのことだ。

影響ある立場の者に対して、発言がなくても、何らかの特徴を見いだそうとしたり、経験からの予断をもったりするから、その時点で情報のbiasが働いていると考えて良いだろう。

では、このようなbiasをどのように考えれば良いだろうか。単に誤解と認識して良いだろうか。誤解にも色々な理由があるから、このようなbiasの理由が明確なら、区別した方が無難に思う。つまり、誤解という結果に注目するより、biasという原因に注目することに意味があると考える。

例えば、与党と政府を一体と考える者にとって、まだ政策合意されていない事案に関する意見は、政府の考えと受け止めやすい。逆に、利用出来ることでもある。反応を見るという意味で利用出来る。領海侵犯に相当することで、どれだけの反応とその能力があるかを判断したいという利用方法も、これに似ている。いやらしい話だ。

つまり、原因を素直に考えて、それの修正に努めることが正攻法と言える。過分な強調の排除には、事前の詳細な情報提供であろう。他との整合性は、どのように考えれば良いだろうか。情報過少と非体系的ということだろうか。わからない。仮に、その二点としよう。

情報が少なくて、予断との整合性で判断すると考えるなら、適切な情報提供が望ましいと言える。

非体系的な情報で、他との整合性で判断すると考えるなら、体系的な情報提供が望ましいと言える。

つまり、適切な情報提供に努めることが求められると考えて良いだろう。

事前の情報提供には、少し説明が必要だろう。これは、対する相手が部下や上司、取引先でも同じことだが、自分という人間の情報を提供するという意味になる。つまり、情報を受ける側が重視する情報には多様性があるから、それだけ難しいとも言える。

例えば、駄洒落だけでわかった気になる者もいれば、推論や思考の過程に立ち入らないと理解出来ない者もいるというように、人間を見る点は多様ということだ。日頃接する相手が限られているなら、出し惜しみすることは危険でもあると考えられる。

これらは、単なる考えで、経験から導き出したことではない。恐らく、誤解に至らない努力になる可能性があると推測しただけで、結果を何ら保証していない。因果を考えるとこのような発想もあるという程度で扱うことをお勧めする。

先の幹事長の話に戻ると、立場の異なる、つまり、いつでも揚げ足をとろうとする立場の存在は、慎重という努力方向だけでは効率が悪く、より積極的努力方向という意味で、政策以外の情報提供とする見方になるのだろう。親しみやすさが良いのか、思考過程を明らかにするのが良いのか、受け側に依存する。