産業高度化

中国の金融自由化と為替幅の緩和は歓迎だけど、実効性を疑う。しかし、きちんと向き合うことは確かだから、その点は素直に認めたい。後は、軍がどれだけ温床に浸っているのか、その実態の程度が知りたい。

産業は高度化しているから、国際競争は避けられないから、高度化に即した対応が必要だろう。つまり、広い意味での教育が欠かせない。それを社会的課題とすると、その解決手段は多様と考えたい。例えば、娯楽とされる遊びの発明も方法の一つと考える。

一般的に高度化すると、何らかの判断の材料や状況は複雑で再現性が少ないから、再現を前提とする前例や慣例に頼ろうとする考えはそぐわない。

つまり、強調すると、何らかの判断を恒久的に扱おうとする考え方は、既存産業では主流かもしれないが、新しい産業では個々の判断の差異が前提になる。

その強調した見方をすると、情報の伝達体制や決定の所在に関する姿勢を定めることが求められるだろう。伝達経路が長く決定と伝達時の間隔が長いと不利になることが考えられる。その間に状況は変化しているからだ。

このような具合を想像すると、静的な知識が教育の主な対象というよりも、動的に状況を認識して判断要素を適宜変動する経験が要求されていると考えられる。それは、例えば、一つの系を成す組織を運営する経験だったりする。組織の大小より判断要素の変動の大小が左右されると思う。

それらを是とするなら、広い意味の教育に、例えば、零細企業の経営やプロジェクトの運営ということも考えられる。

一度戻ろう。

産業の高度化とは、何だろうか。ここで定義めいたことを述べるなら、関係する部品や組織が数多くなることであり、決定のための判断要素が数多くなることとしてみよう。確かに、説得力がある。否定せず、このまま使ってみよう。

何らかの変更の影響範囲は、産業高度化によって拡張され、予測は困難になる。これが、先の動的な要求の説明のようなものと言える。

静的な知識を否定している訳ではない。喚起することは、静的知識に限定することに対する信頼への懸念の意味しかない。静的知識を排除して、みたいなことは誤解になるだろう。

このようなことを考えると、実はどこでも可能とする考えを否定出来ない。なぜなら、仮想世界は自由に構築出来るからだ。とするなら、その仮想世界で思考する習慣に価値を感じることが効果を期待出来るようだ。

より効果を期待するなら、広く社会が評価することだろう。多くの者が評価するから、その評価に応える努力は促されやすくなると考えられる。つまり、影響傾向の強化みたいな効果だ。そのような効果が文化を形成すると考えている。その経路を確実に捕捉したい。

社会的課題の認知が最初で、その解決方法の模索があって、検討、試行、の繰り返しで方法を確立するとともに、評価も定着する、みたいな感じの経路と考えている。認知も、細切れした認識に細分化することも考えられるとか、派生経路はあるだろう。そのようなことを一般化する発想がすぐ出てしまう。