冬将軍

冬将軍と言えば、ナポレオンだろう。ナポレオンにどのようなものを見いだすかは千差万別だろうが、冬将軍に冬を象徴するもの以外を見いだすことは難しいだろう。

象徴するものは別にして、冬将軍に傲慢を妨げる存在を見いだすことはどうだろうか。素直に頷いてしまう。

しかし、傲慢より自信喪失の気持ちの者にとっては、ある意味では何の意味もないだろう。壁の高さがどれだけ高くても意味をなさないということだ。

仮に、自信の程度で考えてみよう。過剰は傲慢であり、過少は自信喪失であろうか。とりあえず、過剰と過少という程度の問題に置き換えると、余計な情報を含まず、純粋に向き合えそうな気がする。

自信を持ちすぎたら冬将軍が何らかの役割を担うとしよう。では、過少の場合の何らかの役割を担う存在は何だろうか。

そのような存在を定義出来るだろうか。象徴として、例えば母性愛のようなものだろうか。これは、かなり説得力があるようだ。つまり、保護される権利を有する存在の象徴が赤ん坊であり、その保護者の心持ちを表現するものだ。

では、母性愛の発揮条件は何だろうか。上のような保護される権利を有する存在ではないだろうか。存在だけでは不十分で、心情が全ての者に発生するとは限らないからだ。

ということは、さらに条件が追加されると考えられる。

今日も酔っている。推論には自信がない。そのような自信喪失の者は、保護される権利を有しているかもしれない。

さて、心情はどうだろうか。何かの条件を発見するかもしれない。