ただ乗り

フリーライド、いわゆるただ乗りを考えてみる。

何か都合のよいものを負担なく利用することと定義してみよう。利用を決める段階で、負担の大きさが左右することがある。負担が大きければ、敬遠される可能性が高まるだろう。つまり、利用されることを狙うなら、負担軽減は有効策と考えられる。

では、目的が漠然としていて、単に集める狙いと考えてみよう。目的よりも何か都合のよいものを感じるから集まると考えるなら、都合のよさそうな目立つものを掲げることになるだろう。その典型例が広告だろう。

つまり、どちらの側であっても、外れることがあるということだ。経験、というより統計的母集団の大きさで狙い通りの集散が出来るかもしれない。

どのような状況を想定すると適切と言えるかはわからない。恐らく、状況を特定するとただ乗りのよい面悪い面が際立つと思う。しかし、よい面悪い面というものを結論とするなら、結論までの過程として考えてみる機会になるかもしれない。つまり、対立的の両側の存在と、負担、狙いの周知効果、のような要素は、一般化で理解しやすくなるだろう。

これらのことで、何かが直ちに結論に達する訳ではない。

この結論も、何かの結論が出るまで自分の結論を表明しないようなことも、ただ乗りと考えられる。

今日も少し酔っている。何か重要な話になりそうな気配を感じたが、眠くなってしまった。