社会的課題解決

最大幸福というものを考えたときに、欲求の最高段階の追求と置き換えてみる。通常は経済的な最大化とされているだろう。

この仮定で要請されることは、各自の欲求の妨げを無くす方向性と考えられる。その際の整合性やら競合の整理が必要になるのだろう。

思想的な対立、例えば、目的は同じだが、その手段が異なるようなことはありえるだろう。また、使用資源が競合することもありえるだろう。

そのような整理が、現在主流である経済的な市場原理に委ねていることは適切だろうか。恐らく、資源配分の原理自体は同じでも、評価に工夫の余地があると予想する。その工夫が何かは、わからない。

そして、各自の欲求の中に、社会的課題解決も含まれると思うので、結果的に市場原理に基づく配分になると考えている。

実現方法を考えることは大事だ。しかし、即効性の方法が浮かぶとは限らない。認識が広がることが順番としては先のように思う。

この考え方は、政治は択一解決だが、解決の多様性が可能だということで、市場による競争で最適化が期待出来るということだ。ということは、何らかの比較が必要で、情報の収集とか様々な試行を経由して確立していくと思う。

また、国境の意味とか、国家の役割とか、そのような筋立ての中で改めて考えることかもしれない。つまり、国際的な協力の関係が、国家より優先される考えも可能性としてはありえるということだ。

武力を伴う紛争は、国家同士の対立は少なくなって、複雑な対立が多くなっている実態がある。個別解決だけが主な手段ではなくなるかもしれない。

平和という課題以外にも、貧困の解消、環境問題、色々あるだろう。一万年という期間で考えると、地球外への移住も視野に入るだろう。

富裕層の発想は理解出来ないが、飛躍的な発想で貢献することは期待したい。多分、この層の欲求を市場原理で実現することになると予想する。