情報伝達

組織的に情報伝達の進化を考えてみる。

初期段階はどのように考えればよいだろうか。まずは、成果を獲得することが必要だから、様々な試行で失敗を重ねて、まだ成功がない状態と考えられる。一人でなら出来ることが、複数では出来ないようなことが典型的と言えるだろう。このような経験がない人は、幸福かもしれない。

何一つ成功していない状態を初期段階とすれば、次の段階は一つでも成功した状態と考えられる。この段階の違いは、成功があるかないか、の違いだが、情報の伝達という観点で、何が違うと言えるだろうか。

先の典型例で言えば、一人で成功する者の情報が伝達するということだろうか。これはこれで頷ける。しかし、その典型例以外はわからない。成功した状況を正解に再現すれば、成功の再現になるという因果関係が明確ならば、これも情報伝達の理由が明確と言えるだろう。

整理しよう。一人の知識の伝達か、成功した情報伝達の再現が、情報伝達の次の段階、つまり、第二段階と考えられる。それ以外の可能性はあるが、追求していない。

これだけでも、組織の官僚化ということが理解出来るように思う。まずは、成果の確立が最優先されることが想像出来るだろう。確立したものを破壊することは、苦労して確立した伝達方法の否定なので、成果が得られないということを恐れると考えられるのだ。

このように考えると、効率とか別の成果とかは、その後の段階と言えるだろう。次の段階を何にするかは、感性の違いで、どれでも構わないと思う。

重要だと考えられるのは、成果の有無を必須と考えることだろう。情報伝達の見事さを追求しても、成果がなければ意味がないと考えられるからだ。そして、そこに官僚化の理由があると思う。

整理しよう。成果の有無を重要と考えるから、簡単に成果を旗印に排除の要求という錦の御旗を掲げることになる。その御旗を掲げることこそ官僚化の理由と考える。

余計な話をして迷わせることになるかもしれないが、天才と何かは紙一重みたいな話に似ていると感じる。この類似を大げさにすれば、否定出来ない理由に問題が含まれる、と考えられる。言い切るだけの根拠を持たないが、かなり説得力があると感じる。

内容はともかく、情報の伝達について、真面目に考える必要があると考えているが、一般的な根拠と理解されていることについて、疑うことも必要と言えるのではないだろうか。

なんとなく、しっくりしないので、しばらくしてから、再挑戦しよう。