憎しみ

憎しみは感情の一つとされる。本当にそうだろうか。

憎むことと、憎む状況が周囲に知られていることとは、同じように思えるが、違うように思う。

世界に一人しかいない状況で、憎しみは同じと言えるだろうか。全く同じ状況の場合もあるだろうが、多分関心は別に集中すると想像する。

仮説として、憎しみは誰かの支持が暗黙にあるのではないだろうか。無視することに非難を予想する連想があるのではないだろうか。この仮説は、多いに納得する。

感情は尊重すべきだろうが、何らかの判断のbiasになっているとも考えられる。

確かに今日も酔っている。疑うべきだろう。だが、率直な感想は確からしさがあるかもしれない。

もう一つの仮説がある。何らかの不都合の攻撃対象になることだ。例えば、本来自己に理由があるにもかかわらず、無関係の何かを理由にして憎むことで、自己を正当化するようなことだ。

個別状況では、それぞれに理由があるだろう。しかし、ある程度共通することもあると思う。憎しみを否定することは難しいが、正当化することは出来ないだろう。否定せず、しかし、正当化の根拠がないことが冷静に提示出来るなら、何かが変わるかもしれない。

多分、複雑な状況認識があると思う。一括りの解決策はないだろう。しかし、極端に走りやすいということは、何らかのbiasの存在を暗示する。

感情は難しい。