管理職

人間を管理することは難しい。仕事の内容を理解していても難しいのに、理解せずに管理するのは一層難しい。

不祥事には色々あるが、担当者の独走という不祥事はリスク管理の面でも、統制の面でも、必要な防止対策になるだろう。担当者の仕事の内容を理解しないということは、不祥事の第一歩みたいなものと考える。

新聞を賑わす不祥事の遠因に、管理職の怠慢、或いは、管理能力の不足があると考えてよいと思う。間違いへの疑いをどこで払拭出来ると考えられるだろうか。

担当者の実績が良好ならばよいと判断しているならば、少々疑問をもってみよう。適切な評価は、何らかの根拠に基づくのか、誰かの評判に過ぎないのか、そんな判断基準を考え直す必要があるかもしれない。

一概に適切な評価を決定することは出来ない。但し、客観的な根拠は確からしさを高めるとは、思える。主観的、というより他人に依存した評価ならば、考え直す余地があるのだろう。

管理される立場で考えれば、適切に評価している上司であるかは重要だろう。不安と微妙な関係にあるかもしれない。

幸運な状況は、たとえ厳しくても適切に評価している上司が居ることだろう。不幸なのは、その逆だろう。甘い評価も不幸かもしれない。幸運かもしれない。ただし、維持したい欲求から逃げる勇気は必要な気がする。

不適切な評価が状況を悪化させることがあるから、勇気ある逃避か攻略は必要と感じることは重要だ。

他人の実力が理解出来ることも実力の一つと考えている。恐らく、どの仕事でも同じだと思う。仕事が出来るようになることは、他人の仕事が評価出来ることなのだろう。なんとなく感じるならば、説明出来るように文章にすると明確になる。

何の能力が高そう、というより、何々がどこまで達するみたいに具体的にするだけで仕事の内容を明確にしていることと同等だろう。別に他人に説明する義務はない。自分の仕事に役立たせる目的でしかない。

例えば、靴の底の減り方に求めるとしよう。それを否定するつもりはないが、出歩く歩数の確認は出来ても、何かの実績を直接示すものではない。しかし、他に客観的に確認出来る材料が無ければ、傍証として留め置くことがあってもよいだろう。そんな努力が何かに役立つと思う。

努力はどこかに形跡を残す。その形跡を見逃さないことが努力を理解していると思う。理屈は難しくはない。