お菓子

最近はスイーツと呼ぶらしい。スイーツと言われたら、洋菓子だけと思ってしまう。多分、同意する人はいると思う。

このように日本語があるのに、わざわざ外国語を使用することに違和感を感じるのは若くないからだろうか。なんとか賞をなんとかアワードと言ったりするのも若い人ほど支持するのだろうか。

確かに若い人ほど柔軟性があることは認める。しかし、それとこれとは別ではないだろうか。どちらかだけしか認知しないとしたら、どのように考えるべきだろう。

日本語の解釈に二通り以上あって、識別する目的で使うならば理解出来る。実は、日本語の外国語への翻訳は課題があるように思える。ポツダム宣言の黙殺が典型的ではないだろうか。

日本語で日本人が理解する内容と、翻訳されて外国人が理解する内容が異なる理由が、文化的と言語的に大きく区別してそれぞれに特有の課題になるように思える。

文化的な誤解は、なかなか難しい。一概に括れないだろう。もしかしたら、日本人を理解してもらうようになれば、その文化的な誤解は少なくなるかもしれない。

もう一つの言語的な誤解の場合は、恐らく幾つかに集中すると思う。としたなら、その幾つかを紹介すれば、誤解を解消出来るかもしれない。ひょっとしたら、過去の誤解まで解消すれば幸運だろう。

人間の情報には、互いに異なる部分があるから、誤解は起こることがある。皆無はともかく、少なくすることが出来るならば、幸運だろう。誤解は不幸の始まりのようなものではないだろうか。

そのように考えると、外国人に誤解のないようにスイーツとしているのだろうか。