隠れ金融

日本では、バブル後にすぐ問題になったのはノンバンクだった。現在、他国ではシャドーバンクが問題になっている。

この違いは、日本の銀行預金の占める割合が高いからだろう。その預金を通した資金からのノンバンクの不良債権がまず問題になったと理解する。他国の場合は、預金より高いリターンを求めた行動がシャドーバンクに流れたと理解する。つまり、日本の場合は個人のリスクが回避され、他国は個人がリスクを負う結果となる。

個人が負担する点の違いに着目しても直接の影響は、よくわからない。しかし、銀行を通した資金の意味は大きいと思う。なぜなら、中銀の及ぶ範囲にあることを意味するからだ。だから、日本の場合は金融政策の恩恵で大きな被害にならなかったと考える。

逆に言えば、中銀の影響範囲外という点で問題視する必要があるということだろう。設計通りのリスク負担での損失は、その負担する者にしか直接の影響は及ぼさない。その先は別の話ではある。

噂では、地方政府が実質的に負担して元本割れを回避したようだ。しかし、今後はわからない。ただし、事前の設計にない裁量で力業で問題を先延ばしする可能性があると考えている。出来るかどうかは別の話だ。

個別には設計通りで問題ないだろう。しかし、一斉に起きることが問題だ。マクロの影響だからだ。損失の穴埋めとか、リスク負担能力が下がるとか、損失の先の話は複雑だが、損失以上かもしれない影響の大きさを想定しておく必要があるだろう。

というよりも、設計がないことが問題ではないだろうか。誰が当事者で、誰が実質的負担を負うべきか、そのような設計がないから、事態への対応能力がないのだ。一度起きている。リーマンショックは、あの住宅債権の問題が原因のようなものだろう。その時の対応は、本来的なのだろうか。

対応能力という観点が優先されただけのことではないだろうか。その認識が間違っていると言い切れるなら、その理由を知りたい。理由には、必要な設計が含まれているはずだからだ。

さて、問題が顕在化するのはほぼ確実と考えているが、その日本への影響は実体経済にもあると思う。なかなか悩ましい。