STAP細胞

ニュースで大々的に扱われている。多分、驚くべきことなのだろう。しかし、内容を理解してないため、驚きを実感出来ない。ただ、二点で考えたい。

一つは、以前の書き込みで、高分子について変化の環境という観点が大事だと主張した。その主張と似ていると思う。細胞と特定せずに、高分子としただけで発想が似ていると感じるのだ。似ていることを言っている訳ではない。変化と、その環境という観点は、恐らく研究の基盤になるだろうという予想を言いたいのだ。効率的な研究の為に、目的を絞る観点とは別に、目的を特定せず基盤整備を主目的とする研究の進め方もあると考えている。

今回の発見につながった準備を尊重して、細胞と特定せずに、高分子の変化という観点で何か変化するものを発見するみたいな進め方、つまり、機械的模索みたいな研究を認めることになるとよいと思う。予断を持たないことが前提になる気がする。

もう一つは、理解されない境遇ということだ。常識を疑われる発想自体に容認されないこととは、自身の存在を認められないのと同等の境遇と言えるだろう。それに対してめげない理由を色々と想像したくなる。恐らく、事実を大事にしたことに集約されるように思える。

身近からの肯定は、あったのだろう。でなければ、任されることはないからだ。その肯定も支援とみなせる。挙げるなら、これくらいでしかない。その中で続けることが出来たことは、素直に認める話と思う。

自分なりに、楽しめる環境を作った面はあるかもしれない。でも、それは、自己努力の範疇だろう。どんな対象であれ楽しめることは、努力を後押しすると考えている。今回も、そのような効果として認めたい。

研究の中身は、わからないから触れることは遠慮しよう。しかし、その姿勢なり方法論については、参考に
なると謙虚に考えたい。

発想だけで言えば、酸性にも色々あるだろう。また、変化後の環境の変化は、どうだろう、と突っ込みたいようなことは色々ありそうだ。それはそれで、何か得られるような気がする。

もう一つあった。認めた人間がすごいと言うことだ。この点は忘れてはならない。認め方に参考になることがあると思う。結果からの判断ではあるが、結果がない状況で認めるのは、単に勇気の話ではないだろう。何かの判断要素を明らかにして、他の組織の参考にすべきことと考える。多分、有用な経験を積む方法の確立につながっていくと予想する。

権威という要素にすがっている実態は、効率的とは思えない。その批判的方法論かもしれない。