劣等感

人間は優劣を感じる動物のようだ。いや、動物が何らかの優劣を感じているのかもしれない。だから、何か共通するものはあると予想出来る。

何を対象に優劣を感じるかは、ここでは考えない。ただ、優越感と感じるものを失うと劣等感を感じると考える。他人を対象に感じることも似ている。

このことは、対象を無制限に感じることは、無益な感情と考えられる。例えば、ある動作を劣等感の対象としよう。他人がその行動は見下して優越感を感じるだろう。しかし、その行動そのもので優越感を感じる理由は合理的に説明出来るだろうか。感情でしか説明出来ないとしたら、その行動で感情以外の直接的な不利益はないのだ。

典型的な例で考えてみよう。頭髪が薄くなって劣等感を感じるとしよう。その見た目の不利益と感じるのは自由だが、直接的な不利益を説明出来るだろうか。異性の恋愛対象の候補から外れる恐怖感はあるかもしれない。しかし、皆無ということは言えないだろう。

この時に、充分な頭髪の人間が、他人の薄い頭髪を見下す感情を持つとしよう。時を経て自身の頭髪が薄くなると、劣等感を感じる確率は高いと考える。頭髪の薄さを基準に優劣を感じていると考えられるからだ。

対象は何でも同じと考えられる。だから、余分な優劣意識を持つ必要はないと考えるのだ。金メダルを取る人をすごいと感じることと、その人に対して劣等感を感じることは違うということでもある。

励みとして持つ感情と、極めて近いものがあるから、どこかで区別するとよいと思う。その辺りの整理は、論理的にはしていない。どこかで整理したい。

オリンピックの活躍を素直に喜び、楽しめることを願うばかりだ。テロだけは、注意したい。