他人事

物事に全て通じる人間はいない。それなりに通じる領域と余り通じない領域のようにばらけることになる。その時点で濃淡の差がある。

さらに、関係する者との関わり具合でも濃淡を生じる。さらに、と際限なく関わり具合を薄める要素を持ち出すことが可能になりそうだ。

別の視点でみると苦労する点に関しては、他人に関心を持ってもらいたい欲求がありがちだ。つまり、自分からみた他人に自分に近い関心を持ってもらいたいとする欲求と、他人から見た通じる濃淡に、乖離があれば、不幸な事態が想像出来る。

多分、このような状況が孤独感の生成を説明しているように思う。

この仮説を是として話を進めると、孤独感からの解放は、他人への期待を少なくすればよいということではないだろうか。所詮、他人事と考えれば、孤独感を感じる必要を失うと思う。

ただ、孤独感に至る事情によっては、結果的に他人に解決を求めている可能性がある。自分では、解決への努力に向かえず、他人の協力で解決した経験があるからかもしれないが、人間は深いからなんとも言えない。その可能性がある限り、先の孤独感からの解放は事態を悪化させる危険性が否定出来ないということだ。難しい。

そんな深い事態でなければ、文学的感傷を別にすれば、自分がしている他人事は、他人も同様に他人事と考えて孤独になる必要を否定すればよいと思う。

誰とも疎通がない状況は幾らでも考えられる。

秘め事を持つ場合は難しい。組織の長は大体そんな状況だろう。今回の話が適用出来るかは、かなり違うような気がする。しかし、逃げ口は必要だろう。ここでいう逃げ口は、逃避策ではない。冷静になれる状況を作り出す方法のことだ。

そんな方法は、個別に形成するしかないと思う。誰でも出来る方法がないということだ。