固体から液体

昨日の続きだ。

一人の人間を想像する。何かをしたいが、普段とは異なる行動であれば、周囲の了解はなかなか得られない。その周囲の了解を得られない状況だけをみると、固体と液体の違いのように思える。

自由に出来ることが周囲の了解を得られなくて制約となることを度合いで表現すると、固体と液体の違いを感じるように思える。固体の場合、周囲の了解を得られず行動すれば、即破壊につながるだろう。しかし、液体であれば、周囲を破壊することはない。

ここまでのところを直感するとしたなら、固体の場合周囲の了解を得られない自由行動は周囲の破壊を意味して、液体はその制約から解放されていると認識出来る。

このような整理から、構成要素を基準に考えることのように思える。固体と液体に別け隔ているものは、周囲の了解と対照的な破壊という分水嶺なのだろう。

レッドライン、ここでいう分水嶺、若者のいうところの地雷を踏む、のように一線を越えることを象徴する表現は多様だ。その一線が固体と液体の違いを象徴するのだろう。

では、昨日の書き込みで矛盾するような表現をどのようにみればよいだろうか。

個人を起点とする見方が今回の話だ。では、周囲を起点とする見方だろうか。周囲からの見方なら、固体の場合秩序を乱す存在と認識されて破壊要素とみなされるのだろう。液体の場合は秩序の破壊とみなされないということのように思える。

つまり、昨日の矛盾は、個人からの見方と周囲からの見方の違いが矛盾のように見えるということなのだろう。

なかなか難しいように思えるが、整理すればすっきりと見通しよく見えるような気がしてくる。

では、液体と気体の違いは何だろうか。

あると主張することは出来ない。擬すことを固体と液体に託したようなものだから、気体まで想定はしていない。宿題としよう。

もしかしたら、正規軍とゲリラの違いに何かあるかもしれない。

思考は一般化することで見通しがよくなることがある。ただし、必ずしもよくなるとは限らない。