液体から気体

温度が上昇して、気圧によっては低い温度でも気体になる。液体から気体で何が違うのだろう。

固体に比べて気圧要因が大きい。これを何に擬して考えればよいだろうか。候補を幾つか挙げてみよう。上場とかの資本援助、広げて金融の環境、周囲の理解、制度からの解放、と挙げてみると、金融と規制の緩和に集約されるような感じがする。なので、抽象的に制御可能な緩和としておこう。

つまり、液体から気体への変化には、固体からの変化のように温度要因以上に制御可能な緩和に依存する割合が大きいと考えられる。温度を長期変動による技術向上や社会の変化のような時代の変化みたいな、制御可能とは思えない変化とするなら、気圧は制御可能な変更と捉えることになるだろう。

個人からの見方をするなら、社会的進出の機会に応じて行動を変えるようなものだろうか。液体の状態を保守的立場とするなら、進歩的立場になるように思える。別にこの擬似化に拘るつもりはない。むしろ、何らかの組織に属することからの解放の方がすっきりする。

固体も液体も気圧からの制約からは、気体に比べて自由のような感じがする。高圧を制御可能な制約の強化とするなら、王政や独裁体制になぞらえられる。これも素直に理解出来る。逆に気体においては、民主化が必要なのだろう。ここでいう民主化は、規制に対する制御を含むものだ。実際に民主化されていると考えられるだろうか。

このような状態を考えると、政治的な支持層も統制なく多様なものと考えられる。ここに制御としての政治を考える意味がある。

現実には、議員選出以外にも多数派へのただ乗りで、実質的に代理人にへの委託を通して政治が執り行われている。事を決する前には委託で十分と認識していても、事を決した後に不満を感じることは、実際に機能が十分ではないことを意味している。どこがおかしいのだろうか。

このように整理して、現実の政治というより、抽象的に考えた方が問題を正確に認識出来ると考えるが、今回の話からだいぶ外れてしまった。

感覚的には、個人の最大活躍の環境が気体の状態のように考えている。そのような環境にするためにどうすればよいか、というのが課題で、それを共有したいという思いがある。この辺りの整理をすれば、すっきりすると思うのは甘い考えだろうか。