間違い

偉い科学者でも間違いをする。有名な話は沢山ある。ただ、復活することもあるから厄介だ。

間違いと断定しないと先に進まないことが多い。ある面で仕方がない。しかし、間違いでないこともある。時間進行とともに情報は豊富になるから、早い段階の判断は間違いを犯しやすい。

進み方として、一本道の前提なら情報の充実を待つことが原則だろうが、多くの場合は分岐の判定に利用するから話が難しい。その暗黙には分岐の択一があるのだろう。並行進行は、ある意味日本のお家芸かもしれない。

整理しよう。三択の進み方がある。一つ目は早い段階の選択、二つ目は遅い段階の選択、三つ目は並行進行だ。細かく考えると、早い段階からの並行進行と遅れて並行進行をすることがある。とりあえず、細かくしないで三つで考えてみよう。

明らかに三つ目は、使用資源が多量になるから、他との違いはリスク分散と冗長性と考えられる。一つ目と二つ目の違いは、選択の時間とリスクだろう。つまり、あらゆる評価で択一になることは否定される。どの評価を重視するかによって、三択ともに選択は否定されない。

では、判断材料としてどのようなものを考えればよいだろうか。情報取得の事前予想の難易、判断の難易、使用資源の軽重、選択の結果の違いの大きさ、としてみよう。

選択結果の違いに差が感じられなければ、所詮この話を考える意味を失う。なので、除外してもよさそうだが、これは結果が把握出来る状況を前提にしていることを失念している。選択時点では、差があると認識しているとして、結果に差があるとしよう。

これをこのまま進めるのは、単体を前提としていることに気づいているだろうか。社会全体としての見方をするなら、そのどれもを試みて有効な選択を残すことを考えるだろう。多分、その通りだと思う。

ここで選択を否定することが出来る状況を考えてみよう。使用資源の無駄使いを重視するなら、冗長的な選択は難しい。しかし、選択後に間違いと判断された場合、別の選択が行われるだろう。その時点で冗長的選択は再評価される。つまり、分岐を網羅的に考えると否定することは困難なのだ。

単体の組織を前提とするなら、複数の選択は通常ありえない。そこに組織全体が従う根拠がある。その習性は、社会全体として恒常的に適切とは限らないことが示されたようなものだろう。

間違いは、ある時点での評価ではあるが、別の時間では、別の評価がありえると考えられる。間違いを失敗としてみよう。成功は、失敗の克服の先にあると言える。分岐を知らずに進んだ結果が失敗で、失敗の理由を明らかにして別の分岐を進めると成功という結果を獲得するということだ。

失敗とか間違いとか、どこかに分岐があると考えると、何かを見つけられるかもしれない。

理論を正当化する事象もあれば、説明出来ない事象もある。説明出来ない事象は、理論の基盤を疑う機会になる可能性がある。その機会を逃すか、逃さないで活かすか、その分かれ目はどこにあるのだろう。