正論

正論というと、嫌われる傾向にあるようだ。嫌われる暗黙の状況とは、主張される側も同じ意見を元々持っているが、何らかの事情で正論を選択出来ないということがあると推定される。

これはこれで事情を知らないで正論を吐く者を攻撃対象にしやすくする土壌を形成しているように思える。そして、そのような経験、つまり正論を選択出来ない事象があるにもかかわらず正論を主張する者が悪者とされてしまう状況を積み重ねていると、その構図だけで悪者扱いしてしまうことになるのではないだろうか。

有名な正論として、昭和十六年夏の敗戦シミュレーションがある。また、多数の内部告発もあるだろう。それらが採択されなかった事情は様々だろうが、上のような構図も関与しているように思える。

もっと身近な例で考えてみよう。禁煙や健康の為の食事と運動は、正論だろう。そして、その正論に対して正面きって反論することは出来ないから、正論に対して卑屈とも言える状況となる。

前にも触れたがbiasとして人間は、自己の存在を否定することに対して、攻撃的ないし卑屈になりやすいと考えている。正論は、このようなbiasを生じやすいと考えられる。

このような正論に関して、二つの対応があると思う。一つは、正論を吐く側の対応で、もう一つは吐かれる側の対応だ。

吐く側の対応とは、太陽と北風ではないが、太陽のような対応ということだ。これはこれで、正攻法と考えられる。

吐かれる側の対応とは、正論を真正面に受ける対応で、北風への耐久性を向上させるようなことだ。これも正攻法と考えられるだろう。

多分、問題は正論が採用されないだけでなく、悪者扱いされるだけの結果になることだろう。さらに、正論に積極的反対の立場になってしまうことと言える。これは不幸なことだ。

不幸なことが、実際にあちこちで行われていると想像出来てしまう。変わるだろうか。変わるとしたら、どのような理由で変わるのだろうか。わからない。