冗長的生産

有名企業の幾つかは、ある程度自由な取り組みが許されている。多くは研究に費やすようだ。その成果を享受するから制度が継続されているのだろう。

試行錯誤する仕事としては、研究開発が典型的だが、限る必要はない。目的達成至上主義とするよりも、その試行錯誤の過程の幾つかをさらに別の試行を行うことを考えてみる。

新たな知識とは、そのような試行錯誤から生まれてくるということが、上の目的達成以外の試行の根拠のようなものだ。目的達成への最短経路を模索することこそ生産性向上と考える立場では、認め難い考えと思う。

生産性を目的達成の面で評価すると、確かに抗いにくい。しかし、評価は様々だ。新たな知識も評価とするなら、試す価値はあると思える。

このような冗長性を積極的に認めるような生産も、結果的に生産性向上につながるなら、支持が広がるかもしれない。ただし、何か取り組み姿勢に制約が必要な気がする。例えば、豊かな発想を持てる人とか、試行の工夫には感性が必要そうだとか、なんとなく客観的に表現出来ない何かがあると成果がでやすいように思えるのだ。

営業の話でも、それなりに成績をあげる人は、何か冗長的な試行をしていることが多い。誰かの真似をして成績をあげる話は聞かないだけなのだろうか。どうも独自の取り組みがあるとしか思えない。

頑張ることは大切だが、明確な目的達成に向かうことだけが頑張ることなのだろうか。新たな知識は、その目的に即するかもしれないし、即さないかもしれない。でも、何らかの恩恵があると考えれば、頑張る意味を広げてもよさそうに思う。

これらは経営の課題かもしれないが、認識の広がりという意味での文化的背景かもしれない。成果という認識の共有が、その文化の促進になるのだろう。つまり、小さな成功は大きな成功の卵のようなものなのだろう。

逆に最短経路しか認めない文化は、どのような未来があるだろう。それはそれで興味深い。