好みの偏り

人間の好みは偏りがあると思う。

実例として紹介する。

音楽は歌のない楽器だけの演奏が好きだ。クラシックなら、交響曲が中心になる。定番ばかり。ベートーベンの1、3、5、6、7、9。あとは、バッハのトッカータとフーガとか、パガニーニドヴォルザークといったもので、なぜかモーツァルトはそれほど好きになれない。嫌いな訳ではない。

クラシックよりも好きなのは、70年代のブリティッシュロックだ。レッドツェッペリン、クイーン、ディープパープル、ELPとか色々。音楽評論家の渋谷氏の影響が大きいような気がする。ビートルズはなぜかモーツァルトのように、それほど好きになれない。嫌いな訳ではない。不思議だ。

日本では、陽水だけ。最近の音楽は大概好きだが、のめり込めない。

絵画は、はっきりしている。人物のない絵が好きだ。静物ではなく、自然を対象にした絵。写真も同様だ。ただし、ルノアールの夜会みたいな絵は好感する。モナリザとか余り感動しないのに、夜会が好きなのは不思議だ。

映画はアクションもの、シュワルツェネッガーが出演する映画は特に好きだ。ターミネータ2がアクションものでは一番と思うが、映画のシーンでは寅さんの妹の結婚式での夫の親の挨拶が一番と思っている。

小説は好みが変化するので割愛しよう。ただ、夢中になって読んだのは、罪と罰。中学の時に最初の方は数日かけたのに、途中から最後まで一気に読んだ。多分、これほど夢中になって読んだ小説はその後に出会ってない。

漫画はどうだろう。少年ジャンプへの偏りが明確だ。ただ、ゴルゴ13は別格。もっとも、入手経路の特異性に依存しているようなところは認めよう。

音楽と絵画ではっきりしているのは、歌声とか人物画とかを好まない傾向だろう。映画や漫画でも、ストーリー重視の傾向があると思う。

これは、何かの偏りがある証拠だろうか。

わからない。しかし、雑音のように感じるような感覚があるように思う。絵画の中の人物は美しいと感じられないし、楽器は安定感があるのに歌声にはそれを認めにくくいのではないだろうか。ロックや陽水のボーカルは楽器に近く感じているのかもしれない。

推測してもしょうがない。ただ、好みには偏りがあることだけは確かだろう。

物事の進め方にも、好みがあるような気がする。基本的なことをしないで、搦め手から攻める手法は結局尻拭いをすることになると経験上確信しているように思える。尻拭いをしなくても済むことを確信している立場を敵視しているのかもしれない。

なるほど、ちょっと強引だが、モーツァルトビートルズを積極的に好きになるという訳ではない理由は、尻拭いをしない立場に感じているのかもしれない。まさかのつながり。強引過ぎる。

今回も酔っている。たまにはこのような話もよいだろう。最近忘れている世界を思い出したような感じになる。このような好みと同じ人間がいたら、お目にかかりたい。