給与水準

今朝の新聞記事で部課長の他国との給与比較が載っていた。それなりに驚いた。円安もあるが、国際標準と異なる曲線であることも理由のようだ。

給与水準は、高いほど魅力があるだろう。必ずしも決定的理由とは言えないが、国際市場を前提にするなら転職について危機感を持つ感性が必要と思う。成長する前の高い支給が成長後に競争相手に転職して失われるとすれば、資本流出みたいなものだろう。

賃金曲線を旧来のままとする慣性では、転職要因が明確になる頃には劇的変化の選択しか残らないかもしれない。人的成長との整合性を考えると、かなり難しい課題のように思える。

国内事情はともかく、雇用市場が国際的に機能しているから類似性があると推測する。つまり、日本はその市場に参加していないから、独自性を保っていられると推察出来る。そこが問題を隠してしまうのではないだろうか。見えない障壁を感じる感性が大切だと思う。国内事情だけで判断するなら、そのような感性は育めない。

情報とは、客観的な事実だけではない。その事実を組み合わせて、何らかの推論によって新事実を仮定して意味があると考える。そのような仮定を大切と考えることは感性で、不確実な仮定に抵抗感があるのは慣性ではないだろうか。

熟練者は、様々な文脈を在庫保有しているのだろうか。それはわからない。また、熟練するものだろうか。多分、熟練するものと考えているが、個人差があるとしたら理由はどのようなものだろう。

脱線した。

途上国も含めて上級雇用市場が機能することは歓迎すべきだろう。ちょうど、リーグ内のチームの偏りをなくす制度で実力均衡を目指すようなものに似ていると思う。あとは、資源配分が課題のように思える。現在の人口は地球として過剰なのだろうか。

資源とは、飲食物が最低限の対象で、それ以外に多種多様にあるだろう。学習の機会も、社会基盤も、治安もあると考えている人もいてよいだろう。医療こそと考える人もいて、まさに多種多様と思う。だから、社会的課題の取り組みも多種多様でよいと考えている。