政権争い

昨日の新聞の元駐中国大使の話に、色々と確信を深めた。今度の人民大会で一つの区切りを明確にすると思う。どんな区切りかはわからない。

昨年の失脚と今の追求は、一括りの話だと思う。

中国の共産党のことを考えると、多様性から遠い存在であることは確かだろう。実際のところ、どのような政治システムでも多様な考えは存在していると思う。それが現実の政治にどのように活かされる経路があるかによって、支持とか諦観とかの見方の違いになるのだろう。

我慢出来る程度の不満ならば、革命的な動きにはならないと思われるので、不満の程度の変化には警戒していると思われる。

率直に言えば、中国の政治は誰がトップに就いても変わらないと考えている。つまり、何か色を出そうとしても難しい。個性ある発言は出来ても国全体を何かに染める真似は不可能に思える。

要するに、内輪の論理が強くて、その論理自体の変化がなければ動きも変わりようがない。その意味で、人に依存するように見えて、そうではなく考え方が似た人脈と人脈の競争のようなものなのだろう。

つまり、実質的暗黙的な政党のようなものなのだと思う。これが多様な考えの中国での政治への経路なのだと考えられる。そして、他国には明示的には理解出来なくても、実質的暗黙的に政権争いが行われているのだと思う。

民主国家の政党のように政策の違いで分かれるのではなく、重視するものとか考え方とか、そのようなものかもしれないし、単に人かもしれないが、個々の変化は緩慢という点で特徴づけられるように思える。だから、なかなか社会的な変化は起きにくいと考えられるのだ。

では、将来も同様になかなか変わりにくい政治システムが継続していくのだろうか。内的要因に絞れば、かなりの確率で継続していくと予想するが、自然とか他国或いは何らかの活動の影響とか、で作用する可能性はあると思う。

つまり、仮に他国が干渉しても影響はほとんどないだろうし、中国という国としても統制はあっても制御はないようなものだろう。なんというか、理性のない大きな動物のような感じがする。

だから、アメリカと張り合おうとするのも、動物のような動機によるもので、将来の戦略みたいなものを背景にしているとは到底思えない。

そんな見方をすると対処方法もわかりやすい。

一区切りとは、過去のお偉いさんの追求の可能性が高いと思う。というより、それ以外を思いつかない。