ネット上の財

所得税について、子どもが多い家庭を優遇する制度が考えられているようだ。これは大賛成だ。

ビットコインをモノとして、税の対象になり得るという扱いになるようだ。それが適切かはともかく、一歩踏み込んで原則を掲げたことは詳細に立ち入るきっかけになるから、評価されるだろう。恐らく、マネーとしては、当局が忌避したのではないだろうか。

この原則は、広範囲の解釈でネット上の取引に関して公正な整備が行われることが期待出来る。その意味なら歓迎したい。

しかし、考える観点を広げると、果たして歓迎するばかりなのだろうか。少し考えてみよう。

実体はネット上のデータである。なので、取引を制限しなければ、世界中の取引相手の可能性があるし、匿名性も現在はある。これについて、どのような観点があるだろうか。

類似の可能性があるだろう。何かの性質を加えるとか変えるとかすることは、多いに考えられる。

競争する対象もあるだろう。現在明確に意識出来るのは、現実の広い解釈のマネーだろう。ここでのマネーは、マネー三原理と認識するもの全てと考えてよい。

その競争も、国内だけのローカルルールという見方と、世界的グローバルルールの見方があるだろう。つまり、例えば税の有利な国で利用することは多いに考えられる。

利用サイト間の競争もあるだろう。手数料とか速度とか、色々と競争の観点はあると思われる。

つまり、何がよいか、何が問題か、というところから考え始めるより、競争原理に従うことから考え始めることが、真理の把握の真っ当な方法と考えている。その上で、問題を解消していく模索が自然発生的に行われると思われる。期待かもしれない。

率直に言えば、重い負担感のある制度は利用が進まないから、上の競争原理が働いてしまうと思う。迂回取引も想定出来るから、補足を意図した途端に逃走されると予想する。

むしろ、税その他の手続きを簡略化軽減化して国際競争で勝てる環境整備をした国家で、利用が進むと思う。例えば、保険とか破産対応とか、負の面の制度整備の充実は競争優位かもしれない。

広い解釈のマネーとの競争の観点は、戦略的な可能性があるだろう。例えば、ゴールドの金は歴史的に広いマネーの代表だろう。その代替と考えると戦略的な発想があってもおかしくはないと思う。

最も考える意味があるのは、類似だろう。これも広く解釈すれば、例えばゲーム中の稀少品を類似とみなすことも可能だ。それこそ、戦略的整備が求められているのではないだろうか。

例えば、税の申告で包括的申告を認めるとすれば、それだけで簡略化軽減化の意味が理解出来るだろう。年間何万取引分と想定するなら、わかりやすい。

問題の視点も様々だと思う。取引を個別でみる立場もあるが、大きい視点では、やはり金融市場の視点だろう。特に中銀の立場は重い。

どうすべきか、より先に、どうなるか、が先行するのではないだろうか。