米中との関係
今朝の日経の解説は参考になる。というより、米国の観測記事や解説記事を明確に裏づけていると思う。特に、ニクソン元大統領の辺りはそのように思える。
どこまで警戒するか、程度に依存するだろうが、警戒からの見方に立てば自立を考えることになるのだろう。その意味で協調性は大事と言える。
だから、今朝の解説を鵜呑みにする対応を否定するつもりは全くない。ただし、中国が一枚岩という前提という点はそのままでは頷けない。
以前にも触れたが、上からの制御が機能しているとは思えないという一点に絞られる。形式的に統制はとれていても、幾層に渡って制御の効かない部分があると考えている。率直に言えば、国際的な視野を持たない人々がいることで他国からの警戒になるのだと思う。一方で良識派もいるから、この良識派を実質的に支援することが警戒を解く有効な正攻法と考えている。
国が大きいから、個人及ぶ影響が限られていることを実感していると考えられるので、国全体や国際的な視野という意識が持ちにくいのではないだろうか。日本なら、権限がなくても持つ人はいるだろうが、中国では目の前のことに勤しむようなことになるのだろう。
つまり、力を持てば個人的恩恵に専念しやすい土壌があり、中央の制御の通りに動いて恩恵がある訳でもないというところだろう。
だから、他国が警戒するような動きがあるのも、国全体の視野での判断とは思えないということだ。そのような制御しきれない状態だから、動物のようなものと感じる。
結局、国際的な良識に従うことが、自分たちによいことになるような生態系になることが、長期だけども実効性のある真っ当な方法ということだ。
制御を司る上の者に他国が意見を言っても、元々注意が国内に向いているから、見事に裏切られるだろう。良識に期待することが、即ちその上の実行したいこととほぼ同じと考えられるので、一見意見に従うように見えるかもしれない。見せ方は、なんとも言えないが、方向は多分適切だろう。
という視点でみると、警戒からの対応としても、平穏からの見方としても、正攻法が適切のように思える。
これは、脳天気なのだろうか。そうではなくて、迂遠の発想と受け取って欲しいものだ。