進む方向

生物の進化から、何を学ぶのだろうか。歴史から何を学ぶのだろうか。唯一ではなく、様々だろう。

生物の進化から考えるのは、評価と適応だ。適応が結果的に進化になっていると思う。飛躍的進化というより徐々に進化することから、評価も飛躍というより徐々に進化することに適したもののように思える。

では、人間社会はどうだろうか。飛躍的進化を期待する思想は存在しても、実際には生物の進化のように徐々に変化すると思う。つまり、評価と適応の働きがあると思う。

では、評価とは具体的には何を指すと考えられるだろうか。個々の様々な無意識を含む思案に埋め込まれていると考えている。だから、地域とか時代による違いは大いにありえる。

そして、社会の進む方向は、その評価に従った適応の方向に向かうのだろう。具体的に現在どの方向に向かっているかは、個々に異なった解釈があると思う。

そのような仮説が成り立つならば、個々の評価の最大公約数みたいな方向は想像出来る。戦争よりは平和、貧困よりは富裕、のような単純な構図は他人への説明としては容易ではあるが、方向の説明になるのだろうか。逃避の対象の説明としては理解出来るが、進む方向とは言えないのではないだろうか。

つまり、個々の様々な望む方向は異なっているが、結果としての社会の進む方向は、将来でしか判断出来ないのではないだろうか。ただ、個々の間での影響もあるので、主張する意味はあるだろう。もしかしたら、現在の恩恵を目的とするよりも大切なことかもしれない。

仮説を進めよう。最大幸福という言葉があるが、最大評価或いは最大欲求段階、最大適応という言葉の方が適切なのかもしれない。つまり、一定の基準に基づく幸福を目指すというよりも、個々の評価で最大適応することが、社会全体の最大効用という概念になるのではないだろうか。

だから、各人の努力が最大発揮する社会が一つの方向にあるのではないかと思う。

生物の細胞を進化の観点で考えると、その細胞としての最大適応の方向で進化したと想像する。それが結果的に高等な進化になるのだとすれば、個々の人間の最大適応の方向の努力が社会全体の高等進化になるのではないだろうか。不要部分の退化とあわせて、原理が成り立つと思う。

なんとなく、整理出来そうな感触があるのに、すっきりしきれてない。もやもや感がある。