規制と検査

規制を一括りにすることは出来ない。一括りで論じる危険性がある。しかし、一括りではなく抽象的に論じる意味はあるだろう。

規制を市場参加資格と参加規則に分けてみよう。資格は免許の類になるだろう。参加規則は参加者が従う規則になるだろう。それ以外の規制はどのようなものと言えるだろうか。実態に即して個別に指導することは、その他の分類になるだろう。

野球でもサッカーでも構わないが、スポーツを念頭に考えるとわかりやすい。出場資格と明確な規則があり、想定外の事態の判断を司る者を予め定めること、とすれば同じように考えられる。

規制の必要性に応じるが、危険を回避するという意味以外に、参入者の人数を限定する意味があるように思う。典型的な意味は生業維持だろう。そこに産業の保護とする解釈が成り立つ。

明確な規則は一定の支持がある。ただ、想定外の事態について、規則を追加する対応と個別に判断する対応があるだろう。再現性があるなら、規則の追加がよさそうに思える。際限なく追加出来るかは、疑問だが。

実態の変化が激しければ、規則も複雑になるだろう。スポーツで新たな事態が度々起きるなら、複雑な規則を想像しやすい。

ゴルフを市街地で実施することを想像すれば、新たな事態が起きることは理解しやすい。詳細な規則で十分に対応出来るとは、到底思えない。仮にある状況で規則を追加したとして、別の状況でその規則が不適切と判断されることが想定されるからだ。

だから、原則を規則として、個別の状況で判断する審判がスポーツでは必要なのだろう。審判の存在しないスポーツとして、登山を挙げてよいだろうか。ゴルフも?

スポーツの規則の決定過程は、実は参考になると考えている。競技運営、規則決定、出場者と立場をそれぞれに考えることが出来るが、生の現実では当事者の立場が強調されてしまう。

今回の書き込み前に考えていたことは、規制を緩和して検査を厳格化すれば、大概うまくいくのではないか、というものだった。それはそれで成り立つかもしれないが、スポーツを参考にすることの方が余程実利があるように思える。

野球のようにローカルルール優先が、いつの間にか世界統一ルールの必要性が生まれる理由も、どこかに似ていると思うのだ。決めることも大事だが、効率とか理解の共有とか、その原理的な背景を探ることも大事だと思う。歴史から学ぶか、スポーツから学習するか、そんなところのような気がする。