経常赤字

黒字が常識だった経常取引が赤字になった。心配する声を認めて、何が問題と考えられるだろうか。

貿易と資本取引で考える話と、貯蓄と投資の差と財政を考える話がある。だから、国民の貯蓄と財政赤字という面で心配になる話は理解出来る。だが、多分伝統的な解釈で懸念することだけでよいのだろうか。

上の話で失念していることは、付加価値の観点だ。貿易について、付加価値で評価するような流れが最近の国際収支の評価だろう。つまり、伝統的解釈が常識として染み付いた者の意見は少々古いのだろう。

簡単な例で考えてみよう。金の延べ棒を100輸入して金の延べ棒の映像を90輸出するとしよう。貿易赤字が10になる。この例で、赤字について何か懸念することがあるだろうか。

だから、数字をさらに精緻に把握する必要があると考える。その把握で、もう少し深く考えればよいと思う。

但し、現在の赤字を心配する必要がないという訳ではないだろう。国債発行の消化について、不安が払拭されたとは言えないだろう。発行時札割れの懸念は購入意欲を減退する要因に求められる。意欲という不確かな心情は予測困難だろう。

人気のコラムに触れている通り、赤字云々を理由にすることなく本来的に財政の不安を退治すればよいのだろう。

なんで常識のような話が当然とされていないのか。もしかしたら、その観点こそ重要なのかもしれない。

狭い意味で財政を懸念すると、赤字要因は社会保障が最大だろう。財政支出を減らす話と税その他を増やす話に尽きるだろう。

新聞に掲載された異次元緩和に関する教授の評価で触れている通り、手っ取り早い成果を望むより、地味に長期的に取り組む必要がありそうだ。

今日も飲んでいる。何か書くべきことがあったような気がするが、忘れてしまった。

なんとなく、同じような話の近辺をぐるぐる回っているような気がする。