長期的視点

短期間で成果が期待出来ないことを長期的に考えることを考える。まわりくどいので長期的視点とする。

影響や期待、権限が大きい立場の人間は、何らかの成果を求められやすい。その為、短期間で成果をあげることに勤しむ傾向が想像出来る。では、この傾向を認めるとしたなら長期的視点は誰が背負うことになるのだろうか。

これを恣意的とする考えと、原理的とする考えがあると思う。ここで恣意的とは倫理観みたいな、然々であるべきとする思想的なものを指す。それに対して原理的とは何らかの因果の働きが存在するとする解明出来るとする立場のようなものだろう。

倫理観みたいなことを否定出来るだろうか。また、原理的なことが存在しないとする根拠を示せるだろうか。難しいなら、どちらの要素も含まれると考えることが素直に思える。

そうすると、一つの仮説で説明出来るように思える。それは、倫理観みたいものの形成は、原理的な働きがあるとする仮説だ。つまり、倫理観とは原理的に価値を見いだす評価形成の市場性があるという考えを以前触れたが、そのことを指す。

これを認めるならば、誰かの意見そのものが直接的に影響するというより、様々な主張が複雑に作用すると考えられる。確かに不自然ではないように思える。

これも、少々堅く議論に出来れば、それなりに形になるような気がする。