独仏の歴史

現在の欧州は独仏が中心のようなものと認識している。そして、日本の近辺の国は何かと独仏を引き合いに出しているように思える。戦争を経ての友好という関係は確かに参考にすべきことはあると考えられる。

独では、小学生のある学年になると第二次世界大戦中に行った事実を集団で見るらしい。悲惨な想いを敢えて刻むことを行事としているようだ。

この行事をどのように考えるかは、多様で個人差があると思う。だから、どのように評価すべきかという観点ではなく、このような観点も考えられるという意味で次を紹介したい。

まず、小学生のような頭が柔らかい年頃では、心の傷は大きいと考えられる。この心の傷が一部だけならともかく、国民全員とするなら、社会的影響として何らかの傾向が作られることを懸念する。つまり、例えば平常時では表面化されない衝動が、ある特定の状況では多数に表れるというようなことだ。そして、多分存在しているが認識されていないと想像している。

もう一つは、このような社会的制裁のような行事を他国に強いる理由として利用される危惧だ。それは、感情として反論したい。独国民の崇高な精神を冒涜するものだろう。ただただ敬意を持つのみなら理解出来るが、安易に利用する便利な手段とすることに対しては感情を揺さぶられる。

さらに言えば、第一次世界大戦の戦後処理の反省も含めて現在の両国の関係があると考えている。一方的な反省ではないから、落ち着いて冷静になれる土壌があるのだろう。一方的な状況は、際限がなくなることになりがちだ。

このような他国の事情への安易な評論は、踏みにじるような行為かもしれない。しかし、事情に明るくなることでよい影響が得られるならば、他国への幸運という一面を歓迎すべきかもしれない。

考えてみよう。自分たちの歴史を利己的に利用されることを想像すると、自分たちの歴史を侮辱された気持ちがあってもおかしくないだろう。例えば、広島・長崎を利用されたとしたなら、どのような感想を持つのだろうか。

それなりの見識を持つ人たちが多い欧州では、不見識な考えは暗黙に拒絶されるだろう。一方で、経済合理性は壊されないだろう。