小売り寡占化

果たして、小売りは寡占化するだろうか。スーパーとか業種を限るとその傾向が強く意識されるが、新たな店が次々に出てくるのと、ネット販売も小売りの範疇と捉えるのが通常なら、寡占化の一面と新規展開の一面があるように思える。

日常の買い物だけを考えると、必然的に食事と日用品関係になる。つまり、コンビニにあるものだ。これを数量分布で想像すると、いわゆる売れ筋に絞る棚揃えは戦略に合致していると思う。

数量分布の少数品目をどこまで対象にするか、つまり品目種類数、一品目の数量、そして棚の広さ、という観点が、どれだけ顧客嗜好に合致すると考えるか、だろう。

自動販売機の取り扱い種類数は、確かに多いに越したことはない、と考えやすい。それは、顧客の欲しいものが既に決まっている前提で考えているからだろう。考えてみよう。目の前に百種類の飲料があったとしよう。選ぶ手間というより面倒を感じるのではないだろうか。

仮に千種類あったとしても、負担感を感じずに選べるなら成功しそうな感じがする。それはそれで進化かもしれない。

店側が顧客の為に品揃えすること、語感は異なるようだが、いわゆるセレクトショップも、その顧客の負担感を軽減するものという面があるだろう。

買い物と考えると、品物を決めてるより、行ってから決めるという見方もある。だから、様々な要素を考える対象にすると複雑になる。

ビールの種類が飲んでわかると豪語するのは、あてにならない。というより信用出来ない。ラベルがあるから飲み比べが出来るけど、ラベルがなければビールも第三のビールも区別がつくとは思えない。ああ、勿論何杯も飲んだ状態でのことではあるが。

だから、たとえトイレットペーパーでも、どの銘柄がよいと評価しているか、かなり怪しいと思っている。セレクトショップの店員と同様の役割を家族の誰かに押しつけている自覚もないだろう。それが小売りの難しさだと思う。ただ、生産性だけが気になる。

小売りの展開の傾向と生産性の高さに何か有意な関係が見いだせれば、寡占化は原理に従う流れなのだろう。新規展開も定着するのも生産性と関係があると思う。

必要のない費用と必要な投資というものは見極めが難しい。

店舗が債務と無関係で、売り上げに生活のひっ迫感がなければ、超隙間市場もアリではないだろうか。昔からのお菓子とか、豪華本だけの店みたいに、その店ならば売ってそうなことを売りにすることも、社会的には必要なのではないだろうか。アナログ部品は、まだ生き残っているような気がする。

竹細工とか手作りも、生活のひっ迫感を抜きにすれば生き残って欲しいと思う人は多いと思う。頑張れ~!って誰が?