デフレ健全論

主流の経済学から見れば、現在の日本経済はデフレで問題視していると思われる。

現象は否定出来ない。むしろ、物価の統計は高めに算出されていると疑っている。

しかし、問題と認識することには否定的だ。理由は、需給の面でやや供給過剰は、国際的に見れば健全と考えるからだ。国内生産より安価な品の輸入という理由だけではなく、持続的に供給過剰となることが自然と考える見方は、需給均衡の原理を信奉する立場から異端に思えるだろう。

まず、需要が変動することを基本に据えよう。つまり、ある時点の需要を満たす供給を想定すると、時間的遅延を回避することは出来ない。供給時の需要は変動しているから、供給はその変動を見込むことになるだろう。その見込みがやや過剰の要因となる。別の言葉で表現すれば、新製品のような開発に基づく供給の試みと言える。

この供給過剰を健全と考える立場となるのだろう。

では、現在のデフレを健全とするならば、デフレ対策としての金融政策は反対の立場になるだろう。資産価格の上昇と円安効果は認めても、その効果と金融政策は別に考える必要があると思う。

もう一つの別の見方がある。それは、物を主体と考えるのではなく、サービス主体の経済になることで、デフレ対策になるという考え方だ。これは少し整理してから説明したい。

健全の認識から見れば、金融政策の副作用を危惧することになる。これは、ある意味言い尽くされているとも考えられる。昨年の異次元緩和で反対の論はいくつも出ているからだ。

一見順調に見えるので、そのような論の影が薄いことが問題のように思う。もっとも、金利高騰対策をする機関投資家がいることは少々不安が和らぐ。

終戦の前に、連合艦隊の参謀が平和株の上昇から終戦の匂いを感じとったという話があるようだ。このような感性は大歓迎だ。さて、副作用の匂いをどこで感じるだろうか。匂いどこらか、そのものがないのだろうか。