サービス化

モノの売り切りよりサービス化という流れになっていると理解する。実際に行われているかはわからないが、例えば明かりについて蛍光灯ではなくLEDの方が運用費用が安価としよう。モノを売るならほとんど初期費用だけの見込みになるが、サービス化と考えると、運用費用の低下分の配分もありえる。

その時、さらなる運用費用低下が見込めれば、新製品導入の誘因と考えられる。

タクシーは、それ自体サービスと言えるが、乗降間の運搬というサービスに限定しなければ、サービスの範囲は拡張する。つまり、単品経営を強いる規制の緩和で需要拡大の可能性が広がると読めるのだ。

モノの新規性を期待するということは、需要以上の供給という暗黙の前提にならないのだろうか。サービスの新規性の期待では、需要というリスク負担が前提になるのだろう。

衣類の流行だけで考えると、流行遅れは不良在庫と考えられる。しかし、例えば衣類の貸し出しというサービス化と見ると、不良在庫を内部的に抱えることになるのだろう。アウトレット以外の処分の可能性を期待することにならないだろうか。むしろ、そのような新しい流れを作り出すことで、開発に遡った大掛かりな革新が期待出来ると思うのだ。

自動車のシェアも革新の一つだと思う。流れ、いわゆる生態系の革新を期待するならば、サービス化が一つの観点と思う。

仮に清涼飲料水を飽和市場として考えてみよう。実際飽和市場であるかは問わない。

新製品を体験していないから、実際に購入して体験することが当然とされる。しかし、この当然とすることを疑うことは出来ないのだろうか。二度と購入しない場合と定番化する場合の間のどこかに落ち着くとして、数値化することで何らかの工夫が期待出来そうに思えるのは、楽天的だろうか。その工夫とは、サービス化も含まれると思うのだ。

より踏み込んでみよう。例えば、家庭教師の売上高を単に時間清算と比べ、成績の向上を評価するとしたら、便益の評価という観点でどのように考えるだろう。

便益を恒久的に定義することを主張している訳ではない。便益の新規性を問うことで確立或いは放棄されていくことを想定するものだ。その新規性の試みに重負担がなければ、多数の試みを期待するものである。

清涼飲料水の新製品を食堂の新メニューに置き換えて考えるとわかりやすいかもしれない。意図は、単なる変数扱いというだけだ。変数の中身は不問。